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久しぶりの更新です。
4日(月)、代々木UTLの『インドの叡智』の第2期がスタートしました。
第1期と違うところは、すでにいろいろな教室やスタジオでヨーガを教えている人が多いということです。
UTLのTTに通っている人もいました。
みんな最後まで続いてほしいと思います。
第1回目の講義はいつもそうなのですが、
ヨーガの話というよりもインドの話になってしまいます。
まるで旅行会社の営業のようです。
ぜひ、みなさんにもインドに行ってほしいと思います。
7日(木)は、『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』第2章の後半。
シャット・カルマについて。
鼻孔の浄化法ネーティで使う「ネーティ・ロタ」という容器や、
スートラ・ネーティで使う紐、ダウティという食道の浄化で使う布を見せました。
これらはみなインドで購入したものです。
もちろん人にお見せするのですから未使用のものです。ご安心ください。
9日(土)はちょっとあわただしい一日でした。
午後からUTLのTT。スタジオは熱心な生徒たちで満員でした。
『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』について。
時間が限られているので、あまり詳しくはできず。
わたしたちが学んでいるハタ・ヨーガの教典なので、
もっと大勢の人に勉強していただけたらと思っています。
いつかUTLでも『プラディーピカー』の講義ができたらと思っています。
そして、夕方からは小田急線喜多見でY.L.S.の学習会。
毎月第二土曜日が定例となっているのですが、
先月はちょうど東北の大震災の翌日ということで、
急きょ中止になったのです。
二か月ぶりで仲間や生徒たちの顔を見ました。
学習は『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』第3章のムドラー。
第3章も終りに近く、今回はサハジョーリーとアマローリー・ムドラー。
みんなびっくりするのですが、アマローリーとは自分の尿を飲む技法なのです。
勉強会とは言っても、こればかりはみんなで一緒に実習というわけにはいきません。
その後はキールタン、やはりキールタンは楽しいです。
少しずつでもレパートリーは増えてきています。
10日(日)、Y.L.S.の第三期養成コースの説明会。
わたしも実技や講義を担当します。
今までわたしが学ばせていただいた、伝統的なインドのヨーガを伝えたいと思っています。
立派な実技のテキストもできました。
講義は『インドの叡智』を使います。
その他にもY.L.S.の先生たちが講師として指導してくれます。
くわしくは、新しく立ち上げたY.L.S.のブログを見てください。
わたしの初めてのインド・30
リシケーシで日本のヨーガ仲間や生徒たちに会えて、とても感動的でした。みんなからは日本のお菓子や本など、いろいろなものをいただきました。母からの現金も助かりました。
●アーシュラムの生活
12月30日。
4時に起床。部屋でアーサナ。今朝はそれほど寒くはないようです。宮下さんからの預かり物があったので、6時前にシヴァシャンカラーナンダさんの部屋に行ったのですが、すでにいらっしゃいませんでした。
外がまだ暗い中、日本人のツアーと最後のお別れをするためにリシケーシの町のメンカ・ホテルに。しかし、朝が早いのでトンガが一台も走っていません。仕方がないので歩いて町へ行くと、向こうからタクシーが走ってきました。そしてすれ違いざまに日本語が聞こえました。偶然、ガンジス河を見に来た仲間を乗せたタクシーと出会ったのです。わたしもタクシーに続いて河の方に下りていきました。宮下さん、大西さん、田中さん、山本さん、橋本さん。みんなわたしの親しい人ばかりでした。写真を撮ったり、ガンジスの石を拾ったり、瞑想をしたりしました。そして、タクシーに同乗させてもらい、他の人たちが待っているホテルへ。
ホテルへ着くと、驚いたことにみんなでバスを後ろから押していました。どうもエンストしたらしいのです。当時のインドではタクシーやバスのエンストは決して珍しくありませんでした。
別れ際に大西さんから手渡されたメモには、わたしが痩せて、しかも三歳くらい歳を取ったと書いてありました。でも、お世辞かも知れませんが、ただ年をとったのではなく、たくましくなったとも書いてありました。お世辞にしてもうれしい言葉です。
みんなとはここでお別れです。残りの旅行を楽しんでください。 ハリオーム!
アーシュラムの部屋に帰り、さっそく家に手紙を書きました。無事にみんなに会えたことと、確かにお金を受け取ったことなどです。井上先生とOさんには明日書くことに。
ヨーガ・ニケータンに滞在している中山さんが遊びにきました。明日、リシケーシにいる日本人四人で大晦日の夕食会をすることになりました。
12月31日。
アーサナに行ったら、今日は大晦日ということで特別プログラムなのでしょうか、バジャン・ホールではプージャーが行なわれていました。仕方がないので部屋に戻り、一人でヨーガ。
洗濯をするためにお湯を貰いに行ったら、係のおじさんに洗濯は水でやれと言われてしまいました。お湯は洗濯ではなく、身体を洗うのだと。言われてみれば、もっともなことです。お湯を沸かすのだって人手がいるし、燃料代もただではないのです。いつのまにか、感謝の気持ちを忘れ、日本にいるときのようにお湯を使うことを当たり前に思っていました。
今日ではアーシュラムの宿舎にはヒーターが付いていて、蛇口をひねれば簡単にお湯が出てきますが、昔はお湯がたいへん貴重だったのです。そういうことも、このインドの手記を書いているとはるか昔のことのように思い出されてきます。
シヴァシャンカラーナンダさんがいらして、宮下さんからの贈り物の目覚まし時計の説明を聞きに来ました。説明書が日本語だったのでわからなかったようです。片言の日本語が話せるシヴァシャンカラーナンダさんですが、読み書きまではできません。
そのシャンカラーナンダさんに明日からジャパ・ヨーガを教えていただくことになっています。ただ、胃の調子が悪いらしく、おりを見て、デリーの病院まで行くことになっているということでした。
アーシュラムの中にクリシュナを祀った祠があります。今日はその祠を設置した記念日とかで、スペシャル・プージャーがありました。プージャーに参加したのですが、とても寒くて最後まで居られませんでした。プージャーの後にはブラサードという、お供え物を分けてくれる習慣があります。果物やキャンディなどが多く、時には珍しいインドのお菓子などが配られることもあります。
それをよく知っている子どもたちは、プージャーが終わるころになるとどこからともなくやってきては、ブラサードだけを貰って行きます。
昼食は、すでに行きつけの店になった安食堂「ナーラーヤン」で食べることに。ライスとサブジーを注文し、お湯を貰い、持参したインスタント味噌汁を飲みました。もうすっかり顔見知りになった食堂の子供がそれを見てそばにやってきましたが、味噌汁の臭いを嗅いだかと思うと、変な顔をしてすぐに行ってしまいました。おそらく彼にとっては、味噌の香りを嗅ぐなどこれが最初で最後でしょう。
日本から持ってきたマグカップにチャイ二杯分を入れてもらって、ガンジス河の河原に。河原に坐ってただぼんやりとガンジス河を見ていると、とても良い気持ちになってきます。
少し怪しいインド人がテントに暮らしていて、シタールを演奏するというので行ってみたら白人の青年が二人いて、一人はハッシッシで目がうつろ状態でした。危ないと思ったので、ミカンとチャイをごちそうになっただけで出てきてしまいました。シタールにしても生演奏ではなく、テープが流れているだけでした。あれはいったい何だったのだろう…。
夕方、森さんが来て、8時ころに集まりましょうとのこと。昨日、ツアーで来た日本の仲間たちからもらった日本食を分けてあげることにしました。お醤油、パックに入ったかつお節、お煎餅、佃煮、インスタント味噌汁などなど。
正直、少しもったいないかなと思わないでもありませんが、いろいろなものを貰っているのを森さんたちは目にしているし、ケチだと思われるのも嫌なので、思い切っておすそ分けです。
バジャン・ホールに行き、今年最後のお祈り。大晦日だからなのでしょうか、シヴァーナンダさんのフィルムを三本も映してくれました。それまで写真や話でしか知らなかったグルデーヴ・シヴァーナンダさんですが、このフィルムのおかげでとても身近に感じることができました。
フィルムの中のシヴァーナンダさんはとても身体が大きく、たいへん陽気な方でした。兵隊の行進のまねをしたり、大勢の人の前で歌ったり踊ったりと、聖者のイメージとはかけ離れたものでした。若いチダーナンダさんやクリシュナーナンダさんの姿もありました。
バジャン・ホールの中はグルデーヴの名前を大きな声で叫んだり、大声で笑ったり、と大騒ぎでした。やがてキールタンが始まると、心の底から熱いものがこみ上げてきて、涙が止まりませんでした。周りにはアーシュラムの人たちが大勢います。恥ずかしいという思いもありましたが、とめどなく涙は流れ落ちます。
このアーシュラムに滞在させていただいて本当によかったと思いました。このアーシュラムの温かく、安らぎと優しさに満ちた雰囲気は、創始者シヴァーナンダさんから出たものだったのです。
シヴァーナンダという聖者の存在を知ってほんとうに感動しました。日本に帰ったら、グルデーヴ・スヴァーミー・シヴァーナンダという人を、一人でも多くの人に知ってもらいたいという気持ちでいっぱいになりました(この願いは大分経ってからですが、『シヴァーナンダ・ヨーガ』という本を出すことによって叶えられました)。
1977年ももうすぐ終わりです。ほんとうにいろいろなことがありました。
1月の初めには、田原先生が朝日講堂でヨーガの講演をし、わたしは大勢の聴衆の前でシールシ・アーサナのデモンストレーションをしました。この講演を聴きに来てくれたのをきっかけに、大西さんや石塚さんや鈴木さんたち同年輩の仲間や生徒がヨーガを学ぶようになってくれました。
そして、なんといっても今年最大の出来事はこうやってインドに来られたことです。何年も待ったことが、ついに実現しました。
前田先生、井上先生というインドの聖者にも劣らない立派な先生方ともお会いすることができました。Oさんというたいへん不思議な力を持った人とも知り合いになることができました。
一方、わたしの中にいろいろと反省しなくてはならない点がたくさんあることもわかりました。
ヨーガを学んでいて本当によかった!
インドに来て本当によかった!
リシケーシに来て本当によかった!
シヴァーナンダ・アーシュラムに来て本当によかった!
そして、グルデーヴ・スヴァーミー・シヴァーナンダのヨーガに少しでも触れることができて、本当によかった!
4日(月)、代々木UTLの『インドの叡智』の第2期がスタートしました。
第1期と違うところは、すでにいろいろな教室やスタジオでヨーガを教えている人が多いということです。
UTLのTTに通っている人もいました。
みんな最後まで続いてほしいと思います。
第1回目の講義はいつもそうなのですが、
ヨーガの話というよりもインドの話になってしまいます。
まるで旅行会社の営業のようです。
ぜひ、みなさんにもインドに行ってほしいと思います。
7日(木)は、『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』第2章の後半。
シャット・カルマについて。
鼻孔の浄化法ネーティで使う「ネーティ・ロタ」という容器や、
スートラ・ネーティで使う紐、ダウティという食道の浄化で使う布を見せました。
これらはみなインドで購入したものです。
もちろん人にお見せするのですから未使用のものです。ご安心ください。
9日(土)はちょっとあわただしい一日でした。
午後からUTLのTT。スタジオは熱心な生徒たちで満員でした。
『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』について。
時間が限られているので、あまり詳しくはできず。
わたしたちが学んでいるハタ・ヨーガの教典なので、
もっと大勢の人に勉強していただけたらと思っています。
いつかUTLでも『プラディーピカー』の講義ができたらと思っています。
そして、夕方からは小田急線喜多見でY.L.S.の学習会。
毎月第二土曜日が定例となっているのですが、
先月はちょうど東北の大震災の翌日ということで、
急きょ中止になったのです。
二か月ぶりで仲間や生徒たちの顔を見ました。
学習は『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』第3章のムドラー。
第3章も終りに近く、今回はサハジョーリーとアマローリー・ムドラー。
みんなびっくりするのですが、アマローリーとは自分の尿を飲む技法なのです。
勉強会とは言っても、こればかりはみんなで一緒に実習というわけにはいきません。
その後はキールタン、やはりキールタンは楽しいです。
少しずつでもレパートリーは増えてきています。
10日(日)、Y.L.S.の第三期養成コースの説明会。
わたしも実技や講義を担当します。
今までわたしが学ばせていただいた、伝統的なインドのヨーガを伝えたいと思っています。
立派な実技のテキストもできました。
講義は『インドの叡智』を使います。
その他にもY.L.S.の先生たちが講師として指導してくれます。
くわしくは、新しく立ち上げたY.L.S.のブログを見てください。
わたしの初めてのインド・30
リシケーシで日本のヨーガ仲間や生徒たちに会えて、とても感動的でした。みんなからは日本のお菓子や本など、いろいろなものをいただきました。母からの現金も助かりました。
●アーシュラムの生活
12月30日。
4時に起床。部屋でアーサナ。今朝はそれほど寒くはないようです。宮下さんからの預かり物があったので、6時前にシヴァシャンカラーナンダさんの部屋に行ったのですが、すでにいらっしゃいませんでした。
外がまだ暗い中、日本人のツアーと最後のお別れをするためにリシケーシの町のメンカ・ホテルに。しかし、朝が早いのでトンガが一台も走っていません。仕方がないので歩いて町へ行くと、向こうからタクシーが走ってきました。そしてすれ違いざまに日本語が聞こえました。偶然、ガンジス河を見に来た仲間を乗せたタクシーと出会ったのです。わたしもタクシーに続いて河の方に下りていきました。宮下さん、大西さん、田中さん、山本さん、橋本さん。みんなわたしの親しい人ばかりでした。写真を撮ったり、ガンジスの石を拾ったり、瞑想をしたりしました。そして、タクシーに同乗させてもらい、他の人たちが待っているホテルへ。
ホテルへ着くと、驚いたことにみんなでバスを後ろから押していました。どうもエンストしたらしいのです。当時のインドではタクシーやバスのエンストは決して珍しくありませんでした。
別れ際に大西さんから手渡されたメモには、わたしが痩せて、しかも三歳くらい歳を取ったと書いてありました。でも、お世辞かも知れませんが、ただ年をとったのではなく、たくましくなったとも書いてありました。お世辞にしてもうれしい言葉です。
みんなとはここでお別れです。残りの旅行を楽しんでください。 ハリオーム!
アーシュラムの部屋に帰り、さっそく家に手紙を書きました。無事にみんなに会えたことと、確かにお金を受け取ったことなどです。井上先生とOさんには明日書くことに。
ヨーガ・ニケータンに滞在している中山さんが遊びにきました。明日、リシケーシにいる日本人四人で大晦日の夕食会をすることになりました。
12月31日。
アーサナに行ったら、今日は大晦日ということで特別プログラムなのでしょうか、バジャン・ホールではプージャーが行なわれていました。仕方がないので部屋に戻り、一人でヨーガ。
洗濯をするためにお湯を貰いに行ったら、係のおじさんに洗濯は水でやれと言われてしまいました。お湯は洗濯ではなく、身体を洗うのだと。言われてみれば、もっともなことです。お湯を沸かすのだって人手がいるし、燃料代もただではないのです。いつのまにか、感謝の気持ちを忘れ、日本にいるときのようにお湯を使うことを当たり前に思っていました。
今日ではアーシュラムの宿舎にはヒーターが付いていて、蛇口をひねれば簡単にお湯が出てきますが、昔はお湯がたいへん貴重だったのです。そういうことも、このインドの手記を書いているとはるか昔のことのように思い出されてきます。
シヴァシャンカラーナンダさんがいらして、宮下さんからの贈り物の目覚まし時計の説明を聞きに来ました。説明書が日本語だったのでわからなかったようです。片言の日本語が話せるシヴァシャンカラーナンダさんですが、読み書きまではできません。
そのシャンカラーナンダさんに明日からジャパ・ヨーガを教えていただくことになっています。ただ、胃の調子が悪いらしく、おりを見て、デリーの病院まで行くことになっているということでした。
アーシュラムの中にクリシュナを祀った祠があります。今日はその祠を設置した記念日とかで、スペシャル・プージャーがありました。プージャーに参加したのですが、とても寒くて最後まで居られませんでした。プージャーの後にはブラサードという、お供え物を分けてくれる習慣があります。果物やキャンディなどが多く、時には珍しいインドのお菓子などが配られることもあります。
それをよく知っている子どもたちは、プージャーが終わるころになるとどこからともなくやってきては、ブラサードだけを貰って行きます。
昼食は、すでに行きつけの店になった安食堂「ナーラーヤン」で食べることに。ライスとサブジーを注文し、お湯を貰い、持参したインスタント味噌汁を飲みました。もうすっかり顔見知りになった食堂の子供がそれを見てそばにやってきましたが、味噌汁の臭いを嗅いだかと思うと、変な顔をしてすぐに行ってしまいました。おそらく彼にとっては、味噌の香りを嗅ぐなどこれが最初で最後でしょう。
日本から持ってきたマグカップにチャイ二杯分を入れてもらって、ガンジス河の河原に。河原に坐ってただぼんやりとガンジス河を見ていると、とても良い気持ちになってきます。
少し怪しいインド人がテントに暮らしていて、シタールを演奏するというので行ってみたら白人の青年が二人いて、一人はハッシッシで目がうつろ状態でした。危ないと思ったので、ミカンとチャイをごちそうになっただけで出てきてしまいました。シタールにしても生演奏ではなく、テープが流れているだけでした。あれはいったい何だったのだろう…。
夕方、森さんが来て、8時ころに集まりましょうとのこと。昨日、ツアーで来た日本の仲間たちからもらった日本食を分けてあげることにしました。お醤油、パックに入ったかつお節、お煎餅、佃煮、インスタント味噌汁などなど。
正直、少しもったいないかなと思わないでもありませんが、いろいろなものを貰っているのを森さんたちは目にしているし、ケチだと思われるのも嫌なので、思い切っておすそ分けです。
バジャン・ホールに行き、今年最後のお祈り。大晦日だからなのでしょうか、シヴァーナンダさんのフィルムを三本も映してくれました。それまで写真や話でしか知らなかったグルデーヴ・シヴァーナンダさんですが、このフィルムのおかげでとても身近に感じることができました。
フィルムの中のシヴァーナンダさんはとても身体が大きく、たいへん陽気な方でした。兵隊の行進のまねをしたり、大勢の人の前で歌ったり踊ったりと、聖者のイメージとはかけ離れたものでした。若いチダーナンダさんやクリシュナーナンダさんの姿もありました。
バジャン・ホールの中はグルデーヴの名前を大きな声で叫んだり、大声で笑ったり、と大騒ぎでした。やがてキールタンが始まると、心の底から熱いものがこみ上げてきて、涙が止まりませんでした。周りにはアーシュラムの人たちが大勢います。恥ずかしいという思いもありましたが、とめどなく涙は流れ落ちます。
このアーシュラムに滞在させていただいて本当によかったと思いました。このアーシュラムの温かく、安らぎと優しさに満ちた雰囲気は、創始者シヴァーナンダさんから出たものだったのです。
シヴァーナンダという聖者の存在を知ってほんとうに感動しました。日本に帰ったら、グルデーヴ・スヴァーミー・シヴァーナンダという人を、一人でも多くの人に知ってもらいたいという気持ちでいっぱいになりました(この願いは大分経ってからですが、『シヴァーナンダ・ヨーガ』という本を出すことによって叶えられました)。
1977年ももうすぐ終わりです。ほんとうにいろいろなことがありました。
1月の初めには、田原先生が朝日講堂でヨーガの講演をし、わたしは大勢の聴衆の前でシールシ・アーサナのデモンストレーションをしました。この講演を聴きに来てくれたのをきっかけに、大西さんや石塚さんや鈴木さんたち同年輩の仲間や生徒がヨーガを学ぶようになってくれました。
そして、なんといっても今年最大の出来事はこうやってインドに来られたことです。何年も待ったことが、ついに実現しました。
前田先生、井上先生というインドの聖者にも劣らない立派な先生方ともお会いすることができました。Oさんというたいへん不思議な力を持った人とも知り合いになることができました。
一方、わたしの中にいろいろと反省しなくてはならない点がたくさんあることもわかりました。
ヨーガを学んでいて本当によかった!
インドに来て本当によかった!
リシケーシに来て本当によかった!
シヴァーナンダ・アーシュラムに来て本当によかった!
そして、グルデーヴ・スヴァーミー・シヴァーナンダのヨーガに少しでも触れることができて、本当によかった!
▲
by preman9798
| 2011-04-11 09:05
今日から代々木UTLで『インドの叡智』の第2期勉強会が始まりました。
第1期はUTLで学んでいる方たちがほとんどだったのですが、第2期はすでにいろいろなところでヨーガを教えている方たちが多いようです。
今日は第1回目ということで、ヨーガというよりもインドの話だけで終わってしまいました。
皆さんが最後まで参加してくださるように頑張りたいと思います。
まだまだ、始まったばかりで、十分間に合います。
ぜひ、毎週月曜日・午後13:00~14:20・UTLにいらしてください。
3月、4月と休講の八雲教室の勉強会が5月から復活します。
『ヨーガ事典』を使ってのヨーガ用語解説と、サティヤーナンダさんの講演録を学びます。
毎月第二水曜日です。興味のある方はぜひいらしてください。
4月10日は、Y.L.S.の養成コースの説明会があります。
集中してヨーガを学びたい人は、どのような養成コースなのか、説明だけでも聞きにいらしてください。
今度の東北震災で、先月は青森に行くことができませんでした。
今月の20日は弘前に行く予定ですが、東北新幹線が全線復旧せず、行けないかもしれません。
震災が少し落ち着けば、被災地の人たちの中で必ずヨーガが必要になると思います。
ストレス解放やのびのびと身体を動かしたいという欲求から、ヨーガが求められる時が来ると思います。
そのとき、何らかの形でお役にたてればと思います。
第1期はUTLで学んでいる方たちがほとんどだったのですが、第2期はすでにいろいろなところでヨーガを教えている方たちが多いようです。
今日は第1回目ということで、ヨーガというよりもインドの話だけで終わってしまいました。
皆さんが最後まで参加してくださるように頑張りたいと思います。
まだまだ、始まったばかりで、十分間に合います。
ぜひ、毎週月曜日・午後13:00~14:20・UTLにいらしてください。
3月、4月と休講の八雲教室の勉強会が5月から復活します。
『ヨーガ事典』を使ってのヨーガ用語解説と、サティヤーナンダさんの講演録を学びます。
毎月第二水曜日です。興味のある方はぜひいらしてください。
4月10日は、Y.L.S.の養成コースの説明会があります。
集中してヨーガを学びたい人は、どのような養成コースなのか、説明だけでも聞きにいらしてください。
今度の東北震災で、先月は青森に行くことができませんでした。
今月の20日は弘前に行く予定ですが、東北新幹線が全線復旧せず、行けないかもしれません。
震災が少し落ち着けば、被災地の人たちの中で必ずヨーガが必要になると思います。
ストレス解放やのびのびと身体を動かしたいという欲求から、ヨーガが求められる時が来ると思います。
そのとき、何らかの形でお役にたてればと思います。
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by preman9798
| 2011-04-04 19:37
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