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長年学んできたヨーガと大好きなインドの話です


by preman9798
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2010年 12月 29日 ( 1 )

今年を振り返って

今年一年を振り返ってみたいと思います。

わたしにとって何より大きな出来事と言えば、長年の希望だった『ヨーガ事典』を出すことができたことです。
正直、出版はあきらめかけていたのですが、代々木UTLの仲立ちにより話が進み、BAB出版より出すことができました。
そのUTLでは、ハタ・ヨーガクラスに加え『インドの叡智』をテキストに学習を行うようになりました。
ティチャーズ・トレーニングコースの哲学も担当することになりました。



池袋勉強会では、『インドの叡智』に続き、『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』を学び始めました。
この勉強会に参加してくださっているメンバーは、ほとんどがヨーガ・インストラクターの方たちです。
Oさんをはじめ数名の方が、ボランティアで教室のお世話をしてくださっています。
また、『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』の各章こどに、きちんとしたテキストを作ってくれています。
皆さんお仕事が忙しいのに申し訳ありません。



今年は青森県にもよく行きました。10回近く行ったのではないでしょうか。
東京の教室と比べると、やや年配の方が多いのですが、『インドの叡智』の授業をみなさんとても熱心に聞いてくださいます。
来年の夏は、「ねぶた」のときに授業をするように計画してくださっているのですが、何しろ青森県内のホテルがまったく取れないということで、実現は難しいようです。
そういえば、八戸ではB級グルメで有名になった「せんべい汁」も食べることができました。
リンゴもおいしいです。
S先生、NさんSさん、大変お世話になりました。



足元のヨーガ・サンガティの教室は、相変わらずといったところでしょうか。
中でも八雲教室は、ヨーガを教えているベテランの人もいて、とても活気があります。
ただ、少し教室が狭いので生徒さんたちにはご迷惑をおかけしています。
来年は、もう少しヨーガ・サンガティに力を入れたいと思っています。

もうひとつの足元、Y.L.S.ですが、ここ2、3年はずっと『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』を学んでいます。
プラディーピカーは、第4章まであるのですが、第4章はまだ一部しか訳していません。
忙しくて、ゆっくりと腰を落ち着けて訳す時間がないのです。
しかも、わたしはあまり英語ができません。
こんな時、もっと英語ができたならばどれだけ楽かと思ってしまいます。

Y.L.S.の狛江校では、今年の後半から定期的なサット・サンガを行うようにしました。
具体的には、わたしの大好きなシヴァーナンダさんの話をし、キールタンを行うというものです。
ヨーガというとアーサナだと思っている人にとっては、実技のないサット・サンガは少し物足りないと感じているかも知れません。
来年は、今までとは違う形でY.L.S.の活動やサット・サンガを行う予定です。


わたし個人というよりも、わたしの仲間たちにとって今年最大のイベントが、スヴァーミー・ヴィシュヴァルーパーナンダジーの来日でした。
わたしの友人、川崎あき子さんとともにインドはリシケーシより来日されました。

おかげ様でいくつかのセミナーや勉強会を行うことができましたが、遠くは青森にまで行っていただきました。
そして、青森の人たちお世話で、スヴァーミージーと川崎さんはあの下北半島の「恐山」まで行ったということです。
面白いのは、わたしたちの一般的な印象とは異なり、スヴァーミージーは「恐山」はとてもよい雰囲気のところだということです。
わたしは何となく不気味な感じがしたのですが…。

これも今年の後半になってからですが、シヴァーナンダさんの金言を、今はやりのツイッターで配信することもできました。
と言っても、正直わたしは扱うことができないので、UTLのKさんにお任せしているのです。
わたしはシヴァーナンダさんの言葉を訳し、Kさんに送るだけなのです。
シヴァーナンダという聖者さんのことを、一人でも多くの人に知ってもらいたいと思う気持ちをずっと持ち続けています。


さて、来年、もっと充実した年にしたいと思います!

よろしくお願いいたします。






わたしの初めてのインド・19

デリーからリシケーシに向います。


●初めてのリシケーシへ
12月16日。
昨日デリー空港に出迎えたOさんと、11時にルフトファンザのビルの前で待ち合わせました。Oさんはすでに来ていて、帰りの便のリコンファームを済ませていました。その後、コンノート・プレイスやジャンパト通りにあるお土産さんを観て回りました。ボンベイとはまた違った雰囲気で、結構安いものもあり、政府系のお土産店には品物も良いものがありました。Oさんが両替をしなくては、というので銀行へ。昨日、わたしが貸した金額+予定外の一泊分ということで、150ルピーを返してもらいました。
近くのお店で昼食を摂り、オールド・デリーのチャンドニー・チョークへ。慣れないと、このチャンドニー・チョークは男の人でも少し恐いのですが、Oさんは平気なようで、大通りから一本入った狭い路地の中を歩いていきます。とくにシク教の寺院では熱心にお参りをしていました。
明朝5時に「ホテル・オベロイ・マイダンス」で待ち合わせして、いよいよリシケーシに行くことに。
明日は朝早く出発しなくてはならないので今夜のうちにホテルの支払いを済ませ、4時に起こしくれるようにフロントに伝えました。

12月17日。
3時30分に起床。フロントに4時に起してくれと頼んでいたのに、起こしに来ませんでした。インドの安宿ではこういうことが良くあります。しかし、特技というよりもわたしの性質なのでしょうか、目覚まし時計がなくても、よほど疲れてでもいない限り起きたいと思う時間に起きることができます。たとえ、目覚ましを掛けていても、いつもその少し前に目が覚めてしまいます。この日もそうでした。
部屋を出てフロントに行くと、ホテルの従業員たちはまだ寝ていました。安宿では、ホテルで働いている人たちはみんなロビーやフロントの前などで毛布に包まって寝ていたりします。従業員用の部屋などないのが普通です。なぜ4時に起こさなかったのかと文句を言いながら、ホテルを出ると、まだ暗い街中を急ぎました。
早朝の乗り物の交渉は、サイクル・リキシャもオート・リキシャもまだ、あまり走っていませんので、乗るほうにとっては不利になります。あまり値段交渉にてこずると、待ち合わせに遅れてしまいます。ようやくサイクル・リキシャに乗ったのは良いのですが、途中まで来るとホテルを知らないと言い出しました。乗るときにちゃんと「ホテル・オベロイ・マイダンス」と言ったのに、知らないと言い出すのです。腹が立ちましたが、時間がありませんので文句も言わず急いでオート・リキシャに乗り換えました。そのおかげでなんとか待ち合わせ時間には間に合いました。遅れたら、Oさんに何を言われるか分かりません。

Oさんは佐保田先生のもとでヨーガを学んでいることを誇りに思っています。それはそれで結構なのですが、東京のヨーガを少し軽んじている様子が言葉の端々に感じられます。しかし、わたしにも東京でヨーガを学んでいるというプライドがありますし、わたしの師である田原先生や藤田先生の顔に泥を塗るようなことは絶対にできません。他でヨーガを学んでいる人との接触は、若干の緊張と自分のヨーガを再認識するきっかけを与えてくれます。今まで一人で自由気ままにインドを歩いていましたが、これからは言動に少し気をつけないといけないと思いました。

「ホテル・オベロイ・マイダンス」に着くと、Oさんがフロントともめていて、ドルからルピーへ替えたときの両替シートが見つからないため、ルピーでの支払いができないと言うことでした。たどたどしい英語で何とか説明して、ようやくリシケーシ行きのバス・ターミナルへ向うことに。

リシケーシ行きのバスが出るのは、カシミーリー・ゲートの近くにあるI.S.B.T.(インター・ステート・バス・ターミナル)という大きなバス・ターミナルです。まだ暗い早朝から大勢の人でごった返しています。ものすごい人です。外国人らしい人は一人もいません。インド人が大きな荷物を持って、ターミナルの中を忙しそうに歩き廻っています。バスを待っている人たちなのでしょうか、外では焚き火をしています。あたり構わず、男の人が立小便をしています。そのすぐ横では地べたに紙を敷いてバナナやリンゴを並べて売っています。
小さな案内所のような小屋があり、そこで切符も売っていました。リシケーシ行きの切符は、数十ルピーだったような気がします。デリーからリシケーシまでは二百数十キロ、たしか6、7時間掛かると聞いています。たしかにバスは安い乗り物に違いありません。
リシケーシにはバスでも、鉄道でも、タクシーでも、飛行機(デラドン行き)でも、歩いてでも行くことが出来ます。わたしの場合、最近はタクシーや車をチャーターして行くことが多いのですが、この最初のインド旅行ではバスでの行き方しか分かりませんでした。しかし当時は、体力はあってもお金がありませんでしたので、バスが分相応だったのかも知れません。

バスの行き先はヒンディー語のデーヴァナーガリー文字で書かれています。今ならば簡単な文字程度は読めますが、当時はまったく分かりませんでした。何人もの人に聞きながらようやくリシケーシ行きのバスに乗りました。お腹も少し減っていましたが、リシケーシまでの道中、何回休憩があるのか分かりませんので、なるべく飲食は控えたほうが良いと判断しました。
5時30分発。あたりはまだ真っ暗です。早朝だったせいか、乗客は半分くらいしか乗っていません。バスが走り出してからわかったのですが、ものすごく寒いのです。きっと窓がしっかりと閉まらないので隙間風が入ってくるのでしょう。バスはクラクションを鳴らしながら路線バスとは思えないほどスピードを上げて走ります。寒さは半端ではありません。震えている日本人を見かねたのか、車掌さんが親切にも毛布を貸してくれました。それでも地平線から大きな太陽が昇ってくるまでの一時間あまり、震えは止まりませんでした。
途中、おばあさんがバスから降ろされるというトラブルがありました。雰囲気から察すると、どうも無銭乗車のようです。車掌は大きな声で怒鳴ると、何もないところでおばあさんを降ろしてしまいました。わたしたちに毛布を貸してくれた親切な車掌さんとは思えないほど、凄い剣幕でした。今思えば、バス代くらいたかが知れたこと、出してあげればよかったと後悔しています。

バスは途中、ドライブインと呼ぶには程遠い小さな茶店で休憩をしました。トイレはありますが、決してきれいとはいえません。ここで簡単な朝食も取れますが、変なものを食べてお腹の調子が悪くなってはたいへんですので、リシケーシに着くまでは我慢することにしました。
さらにバスは走り、あたりもすっかり明るくなりようやく車内も暖かくなったころ、木々の合間に青いガンジス河が見え隠れしてきました。
そして、5時30分にデリーを出たバスは、10時30分にハリドヴァールに着きました。ここまで来れば、もうリシケーシは目と鼻の先です。
ここでまた小さなトラブルがおきました。なぜかこのバスでリシケーシまで行かれないというのです。理由はよく分かりません。おしゃべり好きなまったく関係のない人たちまで話に加わってきて、何がなんだか分からなくなってしまいました。仕方がないのでバスを降り換えて、リシケーシのバス・スタンドまで。

リシケーシの街中にあるバス・スタンドからシヴァーナンダ・アーシュラムまでは結構距離があります。重い荷物を持って歩いて行ける距離ではありません。トンガという馬車で行くことに。トンガは馬が引っ張る小さな乗合馬車で、お客は向き合ったシートに三人くらいずつ乗るのです。
今でこそリシケーシもオート・リキシャが走り、喉が痛くなるほど空気が汚れていますが、30年前のリシケーシでの交通手段の主役はトンガだったのです。鈴を鳴らしながら軽やかに走るトンガはとてものどかで情緒のある乗り物でした。よくアーシュラムからリシケーシの町まで、このトンガを利用したものです。
by preman9798 | 2010-12-29 12:49