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長年学んできたヨーガと大好きなインドの話です


by preman9798
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2010年 09月 18日 ( 1 )

シヴァ神の像

8月31日、インドンから来日されていたスヴァーミー・ヴィシュヴァルーパーナンダジーと川崎さんの「さよならサット・サンガ」を行いました。
そのときに、お二人から大きなシヴァ神の像をいただきました。30センチ以上もあり、重量も相当なものです。
シヴァ神の顔立ちもよく、姿かたちもバランスの良い、とても素晴らしい像です。
インドのお土産さんを回っても、これほど良い像は滅滅多にありません。

昔、初めてインドに行ったときのことなのですが、どうしても仏像がほしくて、わたしはそれを前田行貴先生に見つけてくださるようお願いしました。
インドで生まれた仏教なのに、町で売られているはヒンドゥー教の神様ばかりですし、なかなか気に入った顔の仏像が見つからなかったのです。
前田先生によると、その人に合った仏像が手に入るものです、というお話でした。良いものが手に入らなかったら、縁がなかったと思ってあきらめてください、と言われました。
しかし、帰国間際に前田先生がとても良い顔をした仏像を探してきてくださいました。

もちろん、今でもそのお釈迦様はインドの聖者さんたちの写真に囲まれて大事に祀られています。

そして、先日からは、その隣にはスヴァーミージーにいただいたシヴァ神が祀られています。





わたしの初めてのインド・10

ハリオーム! 成瀬です。
ベナレスを出てブッダ・ガヤに向いました。ブッダ・ガヤはお釈迦様が悟りを開いた仏教の聖地として有名です。


●ベナレスからブッダ・ガヤに
11月12日(土)。
朝、ヴァーラナスィー大学でシタールを聴いたあと、いったんホテルに戻り荷物をまとめ、ベナレスの駅に。ベナレスからガヤまでは鉄道での移動です。二等の自由席なので、インド人ばかりで外国人は一人も見かけません。車内は相変わらず超満員です。
やはりここでも遠慮のない目で見られるのを我慢しなくてはなりませんでした。インド人にとっては、あまり見たことのない顔の東洋人がリュックを背負っているのです。何もすることのない電車の中、好奇心の対象になるのも無理ありません。また、「ネパーリー」「ブータン」「ジャパーニー」というひそひそ話しが聞こえてきます。
しかし、それでなくても狭い座席を、少しずつ詰めてわたしを坐らせてくれました。向かい合った席に坐っている老人が、穴が空くくらい「じぃーっ」とわたしの顔を見ています。瞬きもせず、ニコリともせず見つめています。

ベナレスから何時間かかったのか正確なことは覚えていませんが、お昼過ぎに出た電車がガヤ駅に着いたときには、すでに外はもう真っ暗になっていました。目指すブッダ・ガヤは、このガヤからさらにまたバスやリキシャに乗らなくてはなりません。
わたしは迷いました。今夜はガヤに泊まって、明日の朝早くブッダ・ガヤに行こうか。あるいは、このままブッダ・ガヤまで行ってしまおうか。
まだ行ったことのない町へは、明るいうちに移動しておくというのが大原則ですが、バス・ターミナルの事務所で聞くと、まだブッダ・ガヤ行きの最終バスに間に合うとのことです。わたしは迷った挙句、最終バスに乗ることにしました。
旅行者らしい人は、わたしと同世代の白人の女の子しかいません。彼女はアメリカから来たといっていました。
一緒に最終バスに乗ったインド人たちは、自分が降りるところに来ると、ブリキの天井をドンドンと叩いて車掌や運転手に知らせ、次々と降りていってしまいました。

●とうとうブッダ・ガヤに
ガヤから4、50分走ったでしょうか。やがて、バスは真っ暗闇の中に止まると、運転手が無愛想に「ブッダ・ガヤ」と告げました。運転手はわたしたちを降ろすと、自分の仕事は終わったと言わんばかりに、バスの中の電気を消すとさっさとどこかに行ってしまいました。
インドの田舎です、バス停と言ってもただの原っぱだけなのは分かっています。時計を見ると、なんと夜の11時。辺りは真っ暗で、一歩も歩けません。一歩先に何があるのかまったく見えないのです。段差があるのか、水溜りになっているのか、牛の糞があるのか、一歩先がまったく見えないのです。
わたしとアメリカ人の女の子は、数分間ただじっと立っているしかありませんでした。やはり、夜遅くに知らない土地に来るのは無謀だったのかも知れません。インドの田舎の真っ暗闇は「アナン・ニケータン」で経験しているのに…。いつだって後悔は先に立ってくれません。

しばらくの間呆然と突っ立っていると、先ほどよりは少しばかり眼が利くようになってきました。
すると、突然後ろから「どうしましたか?」という日本語が聞こえてきました。振り返ると、ぼんやりとしか見えないのですが、暗闇の中にインド人らしい人が懐中電灯を手に立っていました。
ブッダ・ガヤだけに「地獄で仏」とはこのことです。どれだけホッとしたか言葉には言い表せません。しかも、驚いたことに日本語なのですから。
わたしは何でインド人が日本語をしゃべるのかという素朴な疑問も忘れ、「暗くてなにも見えないのですが、どこか泊まるところはありませんか」とすがるように聞きました。
そのインド人は上手な日本語で「今日はもうどこも閉まっているので、チベット人のテントに行きましょう」と言うと、わたしたちをそのテントまで案内してくれました。
テントといっても小さな家といっても良いくらいのがっちりとした作りです。翌日になってわかったことですが、そこは小さな食堂兼茶店になっていて、ブッダ・ガヤにいる外人やヒッピーたちの溜まり場だったのです。

わたしを連れてきてくれたインド人が、チベット人の店主となにやら話をしています。日本人とアメリカ人を一晩泊めてやってくれとでも言っているのでしょうか。
チベット人の顔はとても日本人に似ています。それも一昔前の人の良い日本人の顔です。なんだか恥ずかしくなってくるくらいに似ています。わたしがインドで会ったチベット人たちは、みんな素朴で親切で感じの良い人たちばかりでした。
夜、遅かったのでもうお店は閉まっていたと思うのですが、お腹がすいているわたしにチョウメン(焼きそば)とモモ(餃子)を作ってくれました。ここで出してくれるお茶は「ブラック・ティー」というチベットのお茶で、何杯飲んでも無料ということでした。ただ、インドのチャイと違って、漢方薬のような味がしてあまり美味しいとは言えませんでした。

泊まるといっても大きなテント張りの食堂ですから、宿泊のための部屋などはありません。壁にくっついている長い椅子をベッド代わりにしました。布団もないので、ここでも日本から持ってきた寝袋が役に立ちました。しかしその晩は、蚊なのか、他の虫なのか分かりませんが、痒くて痒くてなかなか眠ることができませんでした。
このお店の人なのでしょうか、すでに何人かの人が蚊帳をつった簡素なベッドの中で寝ています。
ちなみに、この親切なチベット人の「臨時テント食堂ホテル」は、何も設備がないとはいえ、一晩たったの1ルピーという安さでした。一泊30円です…。

●ブッダ・ガヤ散策
11月13日。朝早く起きてしまいました。チベット人の子どもがお経を読んでいてうるさいのです。横長の大きくて分厚い経典にはチベット文字で、お経文がびっしりと書かれています。それを大きな声で、しかもものすごい速さで読み上げていきます。もう暗記しているのでしょうか、顔はわたしのほうを見ながらも、少しもつかえることもなく読んでいきます。
昨夜は真っ暗でなにも見えませんでしたが、テント食堂から出ると、すぐ近くにあの「大塔」が建っていました。感激です。

朝早く、昨日このテントに連れてきてくれたインド人が様子を見にやってきました。お互いに自己紹介をしました。彼はアジャイという名前の青年で、年齢はわたしよりも少し若いでしょうか。ブッダ・ガヤで小さなお土産屋をやっているということでした。なんでそんなに上手に日本語ができるのかと聞くと、日本寺で習ったという答えが返ってきました。
ブッダ・ガヤには日本のお寺をはじめ、タイ、ビルマ(ミャンマー)、スリランカ、カンボジアなど世界中の仏教国のお寺があります。しかも各国の建築様式で建てますので、お寺の外観はそれぞれ個性があり、まるで万国博に建つ各国のパビリオンのようです。
アジャイは日本寺で催す日本語の教室か何かで学んだようなのです。しかし、そこで学んだだけでそんなに上手になるものなのかと不思議になるくらい上手です。
日本から仏跡ツアーで大勢の観光客が来ると、必ずお釈迦様が悟りを開かれた聖地ブッダ・ガヤを訪れます。ブッダ・ガヤを訪れるツアー客は、必ずお土産に数珠などを大量に買って帰ります。それで、お土産屋さんのアジャイは日本語を学んだということです。アジャイにとって、日本語は趣味というより、日本人に少しでもお土産をたくさん買ってもらうための手段だったのです。

アジャイのお土産屋は閑なのか、頼んだわけでもないのにわたしをいろいろなところに連れて行ってくれました。
仏伝では、お釈迦様は苦しい修行のみをいくら行なっても無意味であると気づき、それまで仲間と一緒に励んでいた苦行を捨て、ニランジャナー河(尼蓮禅河)で沐浴をされたといいます。そして、近くの村の娘スジャーターの供養する乳粥を食し、身心を穏やかにすると、菩提樹の下で瞑想をしてお悟りを開きました。
わたしはヨーガも好きですが、同じように仏教も大好きです。宗派仏教ではなく、ただ単純にお釈迦様が大好きなのです。

これはインドから帰った後の話になりますが、よく「南無の会」に講演を聞きに行きました。「南無の会」は現代の辻説法と称し、お坊さんや仏教学者が喫茶店などで仏教に関する話をしてくださる集まりです。街中の喫茶店という堅苦しくない雰囲気で、しかもコーヒー代で仏教の話をいろいろと聞けるとても楽しい会でした。この「南無の会」にヨーガ仲間たちとよく行ったものでした。
人気のある先生のときは、お店の外まで人があふれ、ガラスのドア越しに話を聞いていたりします。わたしの大好きな先生は紀野一義先生と金岡秀友先生でした。このお二人の先生にはとても影響を受けました。紀野先生のあのにこやかなお顔は今でもときどき思い出します。金岡先生はお話がとても面白く、先生の授業を受けたいということと、ヨーガを学問的に学びたいという気持ちが募ったことで、インド帰国後数年経ったときに東洋大学のインド哲学科に入りました。

わたし独自の解釈なので、学者やお坊さんに叱られてしまうかも知れませんが、わたし自身は、お釈迦様は偉大なヨーギンだったと思っています。同様にキリスト様も偉大なヨーギンだったと思っています。
さらにわたしの場合、同じ線上にスヴァーミー・シヴァーナンダという聖者を見ています。スヴァーミー・シヴァーナンダの人となりは後日、リシケーシ滞在の手記の中でゆっくりとお話ができると思います。

午前中、アジャイはわたしをお釈迦様が沐浴をされたというニランジャナー河に連れて行ってくれました。しかし、乾季だったせいか、広い砂地の河原の中を流れるニランジャナー河の水位は足首くらいしかなく、とうてい沐浴などできる状態ではありませんでした。それでも、お釈迦様がここで沐浴されたのだと思うと、なんともいえない感動を覚えました。
ほんとうかどうか分かりませんが、お釈迦様に乳粥を供養したというスジャーターの生家の跡というところにも連れて行ってくれました。乳粥というのはまだ食べたことがありませんが、インドにいる間に一度は食べてみたいと思いました。
これで、日本で売っているあの小さな容器に入ったミルクに「スジャーター」という名前が付けられたのか理解できました。スジャーターとミルクは、もともと関係があったのです。

続いて、アジャイが良く知っているというチベットのお寺にも連れて行ってもらいました。そこは小さなお寺で、少し足の悪いチベット人のお坊さんが一人で住んでいて、わたしたちに例の「ブラック・ティー」を出してくれました。
ヒンドゥー教やヨーガのスヴァーミーはオレンジ色の衣を着ていますが、チベットのお坊さんたちはエンジ色の僧衣をまとっています。そのチベット僧は、どうすればこんな顔になれるのだろうと思うほど、穏やかななんともいえない優しい顔をしていました。
帰りは、偶然通りかかった牛車の荷台に乗せてもらいました。歩いたほうが速いと思うくらいのスピードでゆっくりと進みます。カタカタと揺れながら進む牛車の荷台に寝転がると、とてものどかで平和な気分になりました。今までインドに来てから経験した嫌な思いが消えてなくなっていくようでした…。

午後は、ブッダ・ガヤでの宿泊先を探さなくてはなりません。一泊1ルビーのテント食堂は、あくまでチベット人の親切心で泊めてくれたのであって、本来は宿泊施設ではありません。外国人やヒッピーがこれだけいるのだから、どこかに安宿があるはずです。
アジャイが言うには、日本寺にも泊まれるかもしれないけれど高いので「チベッタン・テンプル」にしてはどうかということです。ただ、「チベッタン・テンプル」は安いため、いつも外国人の貧乏旅行者で満員なので、空いているかどうか分からないというのです。
「チベッタン・テンプル」はテント食堂のすぐ近くにありますので、さっそく空室があるかを聞きに行くと、運良く一部屋空いているという返事です。
一泊3ルピー。二階の7号室。部屋の作りは、入口を入るとすぐ左右に木の机があり、その奥にベッドが二つあります。ベッドといっても大きな木の台のようなもので、布団などありません。ここでもまた寝袋が役に立ちました。部屋には一応シャワーが付いていますが、もちろんお湯など出ません。3ルピーでは仕方がありません。突き当たりに窓があり、窓の外は何もない原っぱが広がっているだけです。

荷物を置いてから、大塔(マハーボーディ寺院)、日本寺、中国寺、タイ寺、小さな博物館などを見て廻りました。高さ50メートルを越す大塔は感動的でした。中では、熱心なチベット僧たちが五体投地の礼拝をしています。何千回も何万回も繰り返されているのでしょう、手脚を投げ出すその箇所だけがぴかぴかに光っていました。この大塔は偶像を破壊するイスラーム教かにら守るため、埋めてあったと聞いています。
大塔の近くには、その樹の下でお釈迦様がお悟りを開かれたという菩提樹があります。2500年も前のことですから、今の菩提樹は何代目かになるのでしょう。わたしもヨーガを学んでいる身です。その樹の下で、少しでも坐ってみたかったのですが、柵がしてあって樹に触ることさえ出来ませんでした。
夕食はアジャイの家に招待され、ご馳走になりました。テーブルではなく、床に直に坐り右手で食べる、いわゆるインド・スタイルです。ご飯はあま味がなくボソボソしていて、あまり美味しくありませんでしたが、スパイスの効いた野菜の煮物(サブージー)はまあまあの味でした。そこで生水を飲んだせいか、後で少しお腹の調子が悪くなりました。

「チベッタン・テンプル」は、アジャイが言っていたように白人がたくさん泊まっていて、テント食堂で食事をし、お茶を飲み、おしゃべりするのが日課になっているようです。彼らのように、この穏やかな仏教の聖地にずっといたら、きっと他にどこにも行く気がなくなってしまうだろうと思いました。似たような雰囲気は、インドのいたるところで感じました。貧乏旅行者たちが意味もなく集まっては、一日おしゃべりをしたり、街中をブラブラしているのです。それがインドの良さなのかも知れませんし、それはそれで良いのかも知れませんが、わたしはあまりそういう雰囲気に浸るのが好きではありませんでした。
自分としてはあまり行動的なほうではなく、日本にいるときもどちらかというと活発に外に出て行くというタイプではないと思っていたのですが、このインド旅行ではリシケーシを除いて、ほとんど一箇所に留まることはありませんでした。それは、自分の中のちょっと嬉しい発見でもありました。

「チベッタン・テンプル」のトイレは外にあります。夜中に起きてトイレに行くと、お坊さんたちは外にベッドを出して、蚊帳をつって寝ていました。
庭には花がいっぱい咲いていてとてもきれいです。お隣はスリランカのお寺です。アジャイのお土産屋さんはここを出てすぐ右手にあります。

明日はラージギルやナーランダに行くつもりです。ラージギルは王舎城があったところで、お釈迦様が何度も説法をされた町として有名です。ナーランダは5世紀に作られた仏教大学のあったところですが、その後イスラーム教の人たちに破壊されてしまいました。玄奘三蔵(三蔵法師)が7世紀にインドに行ったときは大勢のお坊さんがここで学んでいたといわれています。
by preman9798 | 2010-09-18 21:45