インド日記・4
2017年 10月 30日
2017年10月21日(土)
朝、5:00から瞑想。「サマーディ・シュライン」。
うまくできました。
「ヴィシュヴァナート・テンプル」でアーラティ。
ここの太鼓は機械が打っている。
ドンドンドドドン、ドンドンドドドン、というように…。
しっかりとプラサードをもらってから、7:00から朝食。ウプマ、チャイ。
8:00からアドヴァイターナンダジーのダルシャン。
偉い人らしい。わたしは初めてお会いする。
感じの良い人だ、顔がどこかヨーガスヴァルーパーナンダジーに似ている。
ヨーガスヴァルーパーナンダジーの顔を少し黒くしたような感じだ。
お土産を渡す。
「ディヴィヤ・ナーマ・マンディル」というところ。
「サマーディ・シュライン」の二階にある。
こんなところがあるなんて知らなかった。
リキタ・ジャパやお経がたくさん収められているところだ。
9:00過ぎてヨーガスヴァルーパーナンダジーのダルシャンの時間に。
やはり同じ「ディヴィヤ・ナーマ・マンディル」だ。
少しアドヴァイターナンダジーのダルシャンが、ヨーガスヴァルーパーナンダジーの時間に食い込んでしまった。
アドヴァイターナンダジー、みんなの評判も良さそう。
続いて、ヨーガスヴァルーパーナンダジーのダルシャン。
11:00にヴィムラーナンダジーのダルシャン。「サマーディ・シュライン」。
日本のお土産、ドネーションを渡した。
まずは先日すっぽかしてしまったお詫びから始める。
待ち合わせの日時を間違えてしまい、待たせたままにしてしまったのだ。
スヴァーミージー、あまり何を言っているかわからなかった。
これで四人続いたダルシャンは終わり。
日本人のツアーということで、特別扱いしてくださった。
個人でアーシュラムに来たときには、こんなにダルシャンはない。
いよいよ今日から個人のアーシュラム・ライフが始まる。
ランチが取れなかったので、「フレーヴァー・レストラン」で、みんなで食べた。
おいしかった。
わたしはあき子さんに聞いていたマッサージに。
バイクの後ろに坐らされ、「ラーム・ジューラー」の方へ。
その他の人たちは「ラクシュマン・ジューラー」へ。
「ラーム・ジューラー」より上流にあるつり橋である。
昔はこの橋しかなかった。
船で渡って夕方になってしまうと、この「ラクシュマン・ジューラー」を渡って帰ってくるしかありませんでした。
マッサージ、二人がかり。
まず、紙のパンツに履き替える。
油を塗って、うつぶせに。ふくらはぎをもまれると飛び上がるほど痛い。
気持ちよくて眠ってしまうかもしれないどころか、痛くて痛くて我慢できない。
仰向けでも全身。
マッサージしてもらって、ちょっと良くなったと思っても階段を上ると痛い。一苦労。
「グルデーヴ・クティール」のバジャンとガンガー・アーラティ。
夕方のこの時間はとても好きだ。
この景色も好きだ。目に焼き付いている。
ガンガーが鏡のようになり、対岸の寺院やお土産屋の景色が映る。
相変わらず、「パールマタ・ニケタン」のコンサートのようなキールタン。
それに比べて「グルデーヴ・クティール」のガンガー・アーラティは神聖な気がする。
夜のサット・サンガ。はじめは少なかったけれど増えてきた。
ジャヤガネーシャ・キールタンから始まる。
何曲かキールタン。
一時間くらいたって、ヨーガスヴァルーパーナンダジーが登場。
朝、5:00から瞑想。「サマーディ・シュライン」。
うまくできました。
「ヴィシュヴァナート・テンプル」でアーラティ。
ここの太鼓は機械が打っている。
ドンドンドドドン、ドンドンドドドン、というように…。
しっかりとプラサードをもらってから、7:00から朝食。ウプマ、チャイ。
8:00からアドヴァイターナンダジーのダルシャン。
偉い人らしい。わたしは初めてお会いする。
感じの良い人だ、顔がどこかヨーガスヴァルーパーナンダジーに似ている。
ヨーガスヴァルーパーナンダジーの顔を少し黒くしたような感じだ。
お土産を渡す。
「ディヴィヤ・ナーマ・マンディル」というところ。
「サマーディ・シュライン」の二階にある。
こんなところがあるなんて知らなかった。
リキタ・ジャパやお経がたくさん収められているところだ。
9:00過ぎてヨーガスヴァルーパーナンダジーのダルシャンの時間に。
やはり同じ「ディヴィヤ・ナーマ・マンディル」だ。
少しアドヴァイターナンダジーのダルシャンが、ヨーガスヴァルーパーナンダジーの時間に食い込んでしまった。
アドヴァイターナンダジー、みんなの評判も良さそう。
続いて、ヨーガスヴァルーパーナンダジーのダルシャン。
11:00にヴィムラーナンダジーのダルシャン。「サマーディ・シュライン」。
日本のお土産、ドネーションを渡した。
まずは先日すっぽかしてしまったお詫びから始める。
待ち合わせの日時を間違えてしまい、待たせたままにしてしまったのだ。
スヴァーミージー、あまり何を言っているかわからなかった。
これで四人続いたダルシャンは終わり。
日本人のツアーということで、特別扱いしてくださった。
個人でアーシュラムに来たときには、こんなにダルシャンはない。
いよいよ今日から個人のアーシュラム・ライフが始まる。
ランチが取れなかったので、「フレーヴァー・レストラン」で、みんなで食べた。
おいしかった。
わたしはあき子さんに聞いていたマッサージに。
バイクの後ろに坐らされ、「ラーム・ジューラー」の方へ。
その他の人たちは「ラクシュマン・ジューラー」へ。
「ラーム・ジューラー」より上流にあるつり橋である。
昔はこの橋しかなかった。
船で渡って夕方になってしまうと、この「ラクシュマン・ジューラー」を渡って帰ってくるしかありませんでした。
マッサージ、二人がかり。
まず、紙のパンツに履き替える。
油を塗って、うつぶせに。ふくらはぎをもまれると飛び上がるほど痛い。
気持ちよくて眠ってしまうかもしれないどころか、痛くて痛くて我慢できない。
仰向けでも全身。
マッサージしてもらって、ちょっと良くなったと思っても階段を上ると痛い。一苦労。
「グルデーヴ・クティール」のバジャンとガンガー・アーラティ。
夕方のこの時間はとても好きだ。
この景色も好きだ。目に焼き付いている。
ガンガーが鏡のようになり、対岸の寺院やお土産屋の景色が映る。
相変わらず、「パールマタ・ニケタン」のコンサートのようなキールタン。
それに比べて「グルデーヴ・クティール」のガンガー・アーラティは神聖な気がする。
夜のサット・サンガ。はじめは少なかったけれど増えてきた。
ジャヤガネーシャ・キールタンから始まる。
何曲かキールタン。
一時間くらいたって、ヨーガスヴァルーパーナンダジーが登場。
by preman9798
| 2017-10-30 09:30