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長年学んできたヨーガと大好きなインドの話です


by preman9798
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2011年のスタート

いよいよ2011年のヨーガがスタートしました。
今年こそブログを頻繁に更新するつもりでいたのですが、
すでに十日を過ぎてしまいました。

今年のヨーガは水曜日の八雲教室からのスタートでした。全員出席。
しばらくお休みしていた超ベテランのYさんのカムバック。嬉しいです。
水曜日の夜は代々木UTL。いつも参加してくださる生徒さんたちでした。

6日の木曜日は、吉祥寺教室。ここも全員出席。体験入学のSさん。
木曜日の夜は池袋での勉強会。『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』第1章。
今日から参加の四名を含め、大勢来てくださいました。ありがとうございました。
次回で第1章は終り、2月からはいよいよ第2章の「シャット・カルマとプラーナーヤーマ」
に入ります。
次回27日(第四木)は第1章が終りということもあり、
授業後は近くのインド料理店で懇親会があります。
これも楽しみ。

金曜日は代々木八幡でのレッスン。とても広い会場です。ここも次回が新年会。

土曜日はY.L.S.。今まで「代々木八幡区民会館」で行っていましたが、
今年からは小田急線喜多見駅の「喜多見地域会館」での授業。
場所が変わっても大勢の人が来てくださいました。
そして、この会場はキールタンができるので、勉強の後はキールタン。
新しい曲を二つばかり。
まだハーモニュームがぎこちないです。もっと練習しなくてはなりません。

10日の月曜日、成人式。この日は、町で奇麗な振袖を着た若い女の子にたくさん出会います。
なんだか嬉しくなります。わたしの成人式…、もう20年も前のことです(?)。

この日は代々木UTLで『インドの叡智』の勉強会。
第2部の最終回、マントラ・ヨーガやスヴァラ・ヨーガを紹介しました。
祝日ということもあり、初めての方が大勢参加してくださいました。
う~ん。やはり、月曜日の昼間というのは参加しづらいのでしょうか。


シヴァーナンダさんの金言集のツイッターもフォロワーの方々がどんどん増えてくれています。
これからも更新していきますので、よろしくお願いいたします。





わたしの初めてのインド・20

リシケーシに着きました。シヴァーナンダ・アーシュラムでの生活が始まります。


●リシケーシ到着
リシケーシの町からトンガという乗合い馬車に乗ってアーシュラムまで行くことに。一人2ルピーでした。トンガは止まっているときは、座席も大地と平行なのですが、いざ動き出すと座席が傾き、ビニールのシートからずり落ちそうになってしまいます。
トンガはリシケーシの町中を通り、ガンジス河を上流に向かって進んでいきます。今はもうありませんが、当時はアーシュラムへ向う途中、道路に踏み切りの棒のようなものがあって、遮られていました。トンガの御者はそこで税金を払い、踏み切りの棒のようなものを上げてもらい、通るのです。きっと町だか村だかの区域の境界だったのでしょう。
右手にガンジス河を見ながらトンガに揺られていくと、わたしが滞在する予定のヨーガ・ニケータンがありました。インドに来る前年、ヨーガ・ニケータンの創始者スヴァーミー・ヨーゲーシュヴァラーナンダが日本にいらしたとき、藤田鳳子先生のご自宅でお目にかかり写真を撮っていたので、その写真を持ってヨーガ・ニケータンに滞在させていただくつもりだったのです。
今日、インドに行くたびにシヴァーナンダ・アーシュラムに滞在させてもらっていますが、実は、最初の目的ではわたしはシヴァーナンダ・アーシュラムではなく、ヨーガ・ニケータンに滞在する予定だったのです。
0さんをシヴァーナンダ・アーシュラムにお連れしたあと、せっかくなのでできたらわたしもシヴァーナンダ・アーシュラムに数日滞在させていただき、その後ヨーガ・ニケータンに移るというスケジュールを密かに立てていたのです。

わたしたちを乗せたトンガは、シヴァーナンダ・アーシュラムのレセプション・オフィスの前で止まりました。シヴァーナンダ・アーシュラムは山の斜面にあります。リシケーシの町の方から行くと、右手にレセプション・オフィスや病院などの施設があり、さらにその先にはガンジス河が流れています。
一方、左手にはレセプション・オフィスと向かい合うように山門があり、それをくぐって長い階段を登っていくと、バジャン・ホール、メディテーション・ホール、ダイニング・ホール、スヴァーミーたちの宿坊などさまざまな建物や重要な施設が点在しています。

オフィスでいくつかの手続きを済ませ、部屋をもらうことになりました。今でこそ清潔な外国人用の宿舎がありますが、当時はまだそのような施設はなく、わたしは「ガネーシャ・クティール」というガンジス河に近い宿舎の一室を貸してもらうことになりました。
クティールとは「小屋」というような意味で、シヴァーナンダ・アーシュラムでは神様の名前をつけたクティールがいくつもあり、そこにスヴァーミーや修行者や滞在者などが暮らしています。
わたしが貸していただいたガネーシャ・クティールはオフィスの近くにある、三階建ての建物でした。その二階の7号室がわたしのアーシュラムでの部屋となりました。
ガネーシャ・クティールには大部屋もあり、インドの人たちはその大きな部屋に寝泊りしていましたが、わたしの部屋はベッドが二つある個室でした。ベッドが二つあるところを見ると、本来は二人用の部屋なのかも知れませんが、しばらくは一人で使えるようです。
部屋の中には家具らしいものは何一つありません。ベッドの他には小さな木の机と椅子、壁に組み込まれた棚があるだけです。あとは掃除用のホウキとバケツ。蛍光灯もなく、壁に裸電球が一つあるだけでした。トイレやシャワーは共同です。もちろんシャワーは水だけで、お湯など出るはずもありません。

ガネーシャ・クティールは、斜面の下の方にありますので、何をするにも長い階段を上っていかなくてはなりません。食事を摂るダイング・ホールも、瞑想をするメディテーション・ホールも、サット・サンガをするバジャン・ホール(現在はサマーディ・シュラインでサット・サンガを行なっています)も、すべてアーシュラムの敷地内の上の方にありますので、一日に何回も階段を上り下りしなくてはなりませんでした。それだけでも良い運動です。

0さんの部屋は女性ということもあり、アーシュラムの敷地内の比較的安全なところにある女性のスヴァーミーのための宿舎の一室のようでした。0さんは荷物の整理もあり、一休みしたいというので、しばらくして会うことにしました。無理もありません。緊張の連続で少し疲れたのでしょう。
わたしは少しお腹が減ったので、レセプション・オフィスでもらった鍵を掛けると、チャイを飲みに散歩に出かけました。近くに「マドラス・カフェ」という南インドの料理を出してくれるお店があると聞いていたのですが、見つかりませんでした。
アーシュラムから少し離れたところに、トンガの溜まり場があります。ここからリシケーシの町までを往復するので、何台ものトンガが停車しています。
今ではここはオート・リキシャやタクシーの駐車場になっていて、排気ガスで喉が痛くなるほどですが、当時はトンガがのんびりと止まっている停車場でした。
その停車場になっている広場をはさむようにして、小さな茶店が数軒並んでいて、簡単な食事も摂れるようになっています。長屋のように何軒かが連なっていて、どれも同じような造りで5、6人も入ればもう満員です。中は薄暗く、机も椅子もガタガタです。まず、外国人観光客は来ないでしょう。しかし、この中の一軒「ナーラーヤン」というお店が気に入り、その後リシケーシに滞在している間中、アーシュラムの食事が飽きるとこの店で飲み食いをしました。

チャイを飲んだ後、0さんの所に行き、二人でスヴァーミー・シャンカラーナンダの部屋を訪ねました。実は、0さんが一人でリシケーシにまで来ることになったのは、このシャンカラーナンダさんに会うためだったのです。数年前に佐保田先生や田原先生たちのツアーでシヴァーナンダ・アーシュラムを訪れた0さんは、スヴァーミー・シャンカラーナンダに出会い、とても感銘を受けたということです。
このシャンカラーナンダさんは南インド出身のインド人で、もうすぐ南インドに帰るということでした。南インドに帰ってしまってはなかなか会えなくなってしまうので、インドにいる間にもう一度会いに来たということのようです。スヴァーミー・シャンカラーナンダさんは、0さんにとってはそれだけ魅力的な方だったのでしょう。

スヴァーミー・シャンカラーナンダさんは、体格の良い、おおらかな印象のとても感じの良い方でした。年齢ははっきりとわかりませんが、4、50代だったでしょうか。0さんはお土産にと日本から持ってきたテープレコーダーとテープを数本上げました。スヴァーミーはたいへん喜び、わたしたちにインドのお菓子やら果物をたくさんくださいました。
0さんも多少は英語ができるのでしょうが、なぜかわたしが0さんの通訳の役目をしなくてはならなくなりました。側にいて、一緒にいろいろなことを学べるのは嬉しいですが、わたしだって通訳が務まるほど英語ができるわけではありません。この状況を何とかしなくてはなりません。0さんは、英語のできる井上先生が一緒にリシケーシに来てくれるものと思っていたようです。

5時15分からはメディテーション・ホールで瞑想があります。現在、この建物はミュージアムのようになっていて、コンピューターでアーシュラムの歴史などを観られるようです。
丸い部屋の中は真っ暗です。間隔を置いて坐布が置いてありました。正面には「オーム」と書かれた文字板があり、電気で光っていました。
時間が来ると、出入り口に鍵を掛けます。瞑想なので途中で入ってくると気が散るということもあるのでしょう。
しかし、それは瞑想が嫌だからといって途中で出ることもできないということでもあります。
スヴァーミー・シャンカラーナンダが、背筋を真っ直ぐにしなさい、力を抜きなさいというような簡単な指示をしてくれます。あとは静けさの中をひたすら坐ります。とても良い気持ちで坐ることができました。終わりの時間が来ると、スヴァーミージーがシャーンティ・マントラを唱えます「オーム プールナマダハ プールナミダン プールナート~ 」。

その後、スヴァーミージー自らが案内してくださり、ヴィシュヴァナート・テンプルに。現在もそうですが、このテンプルで行なわれるアーラティはロウソクを祭具に飾って、とてもきれいです。
夕食。アーシュラムで初めての食事です。ダイニング・ホールが見つからず少し遅れたせいでしょうか、一回目の食事に間に合わず、二回目の食事に。
食事を摂るところはダイニング・ホールの2階にあります。1階に靴やサンダルを脱いで2階に上がっていきます。広い床に所々に細いじゅうたんが敷かれています。その前にステンレスだか真鍮だかの食器が間隔をあけて並べられています。食器の前に一人ずつ順番に坐っていきます。
どこに坐っても良いというわけではありません。スヴァーミーだけの席、アーシュラムで働いている人の席、滞在者の席、女性だけが坐る場所など、それぞれ坐るじゅうたんが決められているのです。
空の食器の前に坐り、食事が配られるのをマハー・マントラを歌いながら待っています。配膳担当の人たちが次々とバケツの中から目の前の食器に入れていってくれます。配り終わったころ、スヴァーミーの合図でマントラを唱え、唱え終わると一斉に食べ始めるのです。
初めての食事はチャパティ、ダル、キチリでした。正直、あまり美味しくありませんでした。ローナワラにいた時はローナワラの食事は美味しくないと思っていましたが、この夕食に限ってだけ言えば、ローナワラのほうが美味しかったような気がします。
しかし、ここはアーシュラムです。ホテルではありません。ヨーガを学ぶところです。食事の些細なことで不服を言うようでは、何しに来たのかと叱られてしまいそうです。
みんな黙々と食べています。お変わりは自由です。食べ終わったころを見計らって配膳係りの人がよそってくれるのです。もっと食べたければお変わりをすればよいし、お腹がいっぱいならば断ります。
自分が食べ終わったからと言って、勝手に席を立つことはできません。みんなが食べ終わったころ、誰ともなくマントラを唱えます。きっと、食事への感謝のマントラなのでしょう。そして、スヴァーミーの指示で順番に食器を持って立ち上がり、食器の洗い場に向います。まずはスヴァーミーたち、次に働いている人たち、そしてわたしたちのような滞在者、最後に女性です。
蛇口のいくつもある長い洗い場で、自分の使った食器をきれいに洗います。今は薄い液体洗剤を使っていますが、当時は灰を使って洗っていました。ていねいに洗わないと、返却するときに担当の人が細かくチェックするのです。ちょっとでも汚れがあると、もう一度洗い直しです。

実は、このときダイニングを統括していたのが、後にわたしのキールタンの師となるスヴァーミー・デーヴァーナンダでした。少し太り気味で顔は恐く、声も大きくて、一見すると親しみを覚える風貌ではありませんが、キールタンをとても上手に歌います。
スヴァーミー・デーヴァーナンダは、通常グルデーヴ・クティールという、生前シヴァーナンダさんが暮らしていらしたクティールの管理をしています。夕方、ここで行われる子どものためのバジャンとガンガー・アーラティは、アーシュラムでのわたしの一番好きなプログラムでした。

食後、0さんの部屋で「あられ」をご馳走になりました。なぜか0さんはしきりに京名物の湯葉を自慢していました。お国自慢というところでしょうか。
夜、バジャン・ホールでサット・サンガがあります。現在はサマーディ・シュラインでサット・サンガを行なっていますが、当時はバジャン・ホールで行なっていたのです。
そのアーシュラムでの最初のサット・サンガで、以前ベナレスで聞いたあの歌と同じような歌を聴きました。愕然としました。なんでアーシュラムでもあのとき聞いた歌を歌っているのだろう。理解ができませんでした。やがて、これはキールタンというものであり、アーシュラムでは日常的に行なわれていることを知りました。そのとき、わたしは決心しました。絶対にこのキールタンを何曲かマスターしようと。
サット・サンガはこのキールタンで始まり、何人かのスヴァーミーが交代で話をしました。そのときは良く分かりませんでしたが、きっと『バガヴァッド・ギーター』の講義だったのではないかと思います。
最後にもう一度楽器を使ってキールタンを歌います。そして、すべて終わったのはすでに夜の10時近くでした。
わたしはアーシュラムの長い階段を下り、自分の部屋に戻りました。
シヴァーナンダ・アーシュラムの初日はこうして終わりました。
by preman9798 | 2011-01-11 09:38