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長年学んできたヨーガと大好きなインドの話です


by preman9798
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八戸と池袋の勉強会

13日(月)に八戸に行ってきました。
3日に青森に行ったばかりなので、今月は青森県に二回行ったことになります。
自分ではずっと「天気男」だと思っていたのですが、二回とも雨でした…しかも寒い!
使い捨てカイロを持っていって正解でした。

ヨーガ・サンガティ八戸教室は朝と夜のクラスがあり、二クラスとも『インドの叡智』を学んでいます。
生徒さんには年齢の高い方もいて、重たいこの本を持ってくることさえ大変だと思いますが、皆さんとても熱心に学んでくださっています。

12月ということもあり、授業が終わった後は忘年会でした。
青森も八戸もおいしいのはリンゴだけではありません。
漁港がありますので魚介類も豊富です。
八戸の皆さん、とても楽しい忘年会をありがとうございました。


そして、昨日(16日・木)は今年最後の『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』の学習会でした。
会場はいつもの池袋ではなく「代々木八幡区民会館」での授業となりました。
今回は、横須賀からTさん、そして札幌からAさんのお二人が参加してくださいました。
お二人はヨーガ仲間であり、ヨーガの指導者でもあります。
以前『シヴァーナンダ・ヨーガ』を読み、シヴァーナンダさんに関心をもってくださったとのことでした。ありがとうございます。

青森もそうですが、地方は東京と異なり、ヨーガを深く学ぶ施設や機会が限られているようです。地方に行って熱心なヨーガ仲間に話を聞くと、それをとても痛感します。
その点、東京は学ぶ気さえあれば、いろいろなところで様々なことを学ぶことができます。

『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』の第1章もあと二回で終わります。
そろそろ、第2章・プラーナーヤーマ編のテキスト編集に入ります。
第1章のテキストはOさん素晴らしいのを作ってくださいました。
Oさん第2章もよろしくお願いいたします。





わたしの初めてのインド・17

今回はカイヴァリャダーマと井上和俊先生について話をしたいと思います。この旅行ではいろいろな方にお会いしましたが、わたしにとって井上和俊先生はたいへん影響を受けた先生の一人です。そのころのローナワラには、「アナン・ニケータン」に前田先生や久保象永さん、カイヴァリャダーマには井上先生や関西の人がいて、このインドの田舎町には、当時何人もの日本人が滞在していました。

●カイヴァリャダーマ
カイヴァリャダーマは、スヴァーミー・クヴァラヤーナンダ(1883~1966)が創設した施設で、
ヨーガを科学的・医学的に研究する施設として知られています。そんなことから日本では「ヨーガ大学」と呼ばれていたのでしょう。
カイヴァリャダーマは、ローナワラ駅からバタバタ(オート・リキシャ)で数分行ったところにありました。インド的な距離感では歩いても行ける距離です。カイヴァリャダーマの広い敷地には校舎や、病院や、図書館や郵便局などがあります。

前田先生に会いに来たヴィラジェシュヴァというスヴァーミーは、どうしても「アナン・ニケータン」に行きたいということで、前田先生や象永さんたちと一緒に山に帰って行きました。そして、気に入れば長期滞在したいということでした。
わたしはせっかくカイヴァリャダーマを訪れたので、みんなと一緒に山には帰らず、ここに泊めてもらうことにしました。明日はボンベイに行くので、「アナン・ニケータン」に戻ってしまうと、また出てくるのに時間がかかってしまうという理由もありました。
井上先生を通して担当の人に訊いてもらうと、部屋は空いているとのことでした。ホテルではないので、通常ならば短期の滞在はできないのかも知れませんが、前田先生や井上先生のおかげで泊めてもらえることになったのです。

当時、カイヴァリャダーマには井上先生をはじめ、いろんな国の人がヨーガ留学をしていました。彼ら留学生たちはカイヴァリャダーマの敷地内にある病室を宿舎として使っていました。
病院ですから、喘息などのヨーガ的治療を受けるために長期滞在して人もいますが、そんな患者さんたちと一緒に滞在していました。病室ですので当然、ベッドもホテルや家庭にあるようなベッドではなく入院患者用のベッドでした。
ただ、病院といってもヨーガ的治療ですので、通常の病院のように看護師さんが働いていたり、やたら薬品の臭いがするという雰囲気ではありません。その空いている部屋(病室)にわたしも泊めてもらうことになったのです。
管理人は、メガネを掛けサーリーを着たインド人女性で、みんなからシスターと呼ばれていました。あまり愛想の良い人ではありませんでしたが、みんなからは何かと頼りにされていました。

12月5日。
昨日は、カイヴァリャダーマに泊めてもらいました。5時半に起床。きっとこの建物(病院)の中にアーサナを行なうホールみたいなものがあるはずなのですが、様子が分からないので、今朝は自分の部屋でヨーガをすることに。
また、カイヴァリャダーマでは、朝お茶が出るのですが、いわゆるインドのチャイではなく、薬草茶のようなお茶です。身体には良いのかも知れませんが、あまり好みの味というわけにはいきませんでした。
ボンベイに行くために、7時半にカイヴァリャダーマを出てローナワラ駅に。朝食に、プーリーというチャパティを油で揚げて膨らませたものを食べました。これにカレーをつけて食べます。
電車は二等席でしたが、上手く坐れることができ、ボンベイまでは快適に行くことができました。いつもこうやってスムーズにことが運ぶと良いのですが。
ボンベイに着くとまず、13日のデリー行きの飛行機のチケットを買いました。45ドル。ちょっと痛い出費ですが、電車で行くよりもずっと早いので仕方がありません。
ボンベイ市内のホテルは高く、部屋もなかなか空いていないので、インドで最初に泊まったサンタクルツの「ラブリー・ホテル」に泊まることに。ボンベイからサンタクルツまでの電車はものすごく混雑していて、東京で言えば、山手線や中央線のような通勤電車なのでしょうか。車内は男ばかりです。今は、日本でも電車によっては女性専用の車両がありますが、インドでは昔から女性専用の車両というものがあるのです。
夜は、ホテルの近くのインド版縁日を楽しみました。相変わらず、裸電球の灯りの下に屋台や露店のお店がずらっと並んでいます。サトウキビのジュースを飲んだりつまみ食いをしながら、しばらくの間散歩を楽しみました。

12月6日。
なぜかこのサンタクルツという何もない町が気に入り、たいした用事もないのに、町中をぶらつくことに。暑さで頭がボーっとしてきます。
町を歩いていると、一家で大道芸のようなことをしているところにぶつかりました。何人かの人が輪を作るようにしてその大道芸を観ています。人垣の中では、父親らしい人と5歳くらいの小さな女の子が何かをやっています。女の子は汚れて真っ黒になったワンピースに裸足でした。わたしも何気なく観てみると、父親らしい人が持つ直径5、60センチほどの輪の中を、女の子が前転しながらくぐっています。ただそれだけです。それを何回も繰り返すのです。そんな芸ともいえないような芸よりも、この子は学校には行かないのだろうかと、ということが頭に浮かんできました。
あまりにもくだらないので、歩き始めると、その女の子が飛んできて金をくれと手を出しました。「わたしたちの芸を観たんだから、いくらか置いて行け」と言っているようです。
わたしは「ふざけるな、そんなくだらない芸に金を払えるか」という顔をして立ち去ろうとしましたが、何十メートルも付いてきます。ついに根負けして、1ルピーを女の子に上げました。すると、たったこれだけかというような顔をすると、礼も言わず戻って行ってしまいました。
暑いので思考力もなくなってきます。日本にいたときのように、ちょっと喫茶店やデパートで涼むということもできません。ラッシーや炭酸飲料のリムカやサムアップなど、一時間おきぐらいに冷たいものを飲みたくなります。

12月7日。
朝のヨーガ。朝食は例によってオムレツ、バナナ、トースト、チャイ。8時55分のローナワラ行きの電車に乗るため、40分にホテルをチェック・アウト。サンタクルツからターダルという駅へ、ダーダル駅で乗り換えてローナワラに。
ここでまたトラブルが起きました。サンタクルツからダーダルへの満員電車の中で、わたしはお金を掏られてしまいました。パジャマという、ゆったりとしたズボンをはいていたので、いつ掏られたのかまったく気が付きませんでした。大きな額の紙幣は首から掛けたパスポート入れに入れて肌身離さず持っているので無事でしたが、財布の中には80ルピーほど入っていたはずです。80ルピーでもわたしにとっては大金です。しかし、それ以上にショックだったのは掏られたという事実です。スリのかもにされるほど、自分はバカ面をしていたのだろうか。悔しいやら情けないやら腹立たしいやら、なんともいえない気持ちです。たしかに車内は満員で、インド人の乗客に囲まれて身動きが取れなかったとはいえ、まったく気が付きませんでした。さすがはプロ、などと感心している場合ではありません。
ローナワラに着くと、お昼を過ぎていました。近くの食堂でプーリーとラッシーとチャイの昼食を摂りました。駅の売店で鉄道の時刻表を買おうと思ったのですが、置いていないとのこと。一般のインドの人たちは、きっと時刻表を使うほど頻繁に鉄道を利用することなどないのでしょう。こんなことなら、ボンベイで買っておけばよかったと後悔しても仕方がありません。
カイヴァリャダーマまで戻ってきたら、ちょうど井上先生が見知らぬ日本人と話をしていて、彼らを案内するとのこと。TBSの人たちで、インドのヨーガをテレビで紹介するので、そのための取材だと言うことです。テレビ局の人たちは、佐保田先生のことも知っていました。そういえば、インドに来る前に、佐保田先生がインドにいらっしゃるというようなことを聞いていたのですが、きっとその番組なのかも知れません。おそらく佐保田先生ご自身は、何かの理由で来られなかったのでしょう。
また、カイヴァリャダーマの一室を借りることに。午後は、たくさん溜まってしまった洗濯をしました。「アナン・ニケータン」では、お湯はたいへん貴重なのでめったなことでは使えませんが、カイヴァリャダーマではシャワーも洗濯も、蛇口をひねればすぐにお湯が出るのです。
ここで日本人の若い女の子を紹介されました。カイヴァリャダーマの正式な学生ではなく、わたしと同じ、短気の滞在ということでした。彼女は森さんという、まだ20歳前後の女の子で、驚いたことに一人でインドに来たということです。話を聞くと、今「アナン・ニケータン」にいるヴィラジェシュヴァさんが気に入っていて、自分も後で「アナン・ニケータン」に行きたいということでした。彼女はヴィラジェシュヴァさんのことをなぜか「おっさん、おっさん」と呼んでいました。
後で知ることになりますが、彼女は日本では家庭問題がいろいろとあり、インドに来たということでした。そういう事情もあってか、周りの大人たちにちょっと反抗的なところもある反面、どこか寂しそうな印象も受けました。

ローナワラは避暑地といえども日中は暑いので、みんな自分の部屋で昼寝をします。怠けるということではなく、暑い土地ならではの生活の智恵なのでしょう。
わたしも洗濯を済ませると、自分の部屋でぐっすりと寝てしまいました。

12月8日。
朝、6時に起きてモーニングティーを飲みにダイニングに行ったのですが早すぎたせいか、井上先生も森さんもまだ来ていませんでした。
モーニングティーの後はアーサナの時間です。アーサナのホールに行くとインド人の先生がいらっしゃいました。ホールには真ん中に三分の二ほどカーテンが引いてあり、男の人と女の人とは分かれて行なうようになっていました。先生は左右の双方から見えるように真ん中に坐っています。
面白いことに先生は何も指導をしてくれません。こちらが質問をしなければなにも言ってくれません。カイヴァリャダーマの正規の授業ではないので、なにも教えてくれないのでしょうか。
周りの人たちのやり方を見ると、とてもゆっくりとした静かなアーサナで、わたしが日本で学んでいたヨーガとほぼ同じスタイルのような気がしました。

アーサナの後は朝食です。ミルクとパンだけで、しかもおかわりはできません。
カイヴァリャダーマに来てからやたらと眠ります。今までにこんなに眠ったことはないと思うほどよく眠ります。井上先生や前田先生がそばにいらっしゃるという安心感からなのでしょうか。信じられないことに、昼食の時間も気づかず寝てしまいました。井上先生が声をかけて下さったそうですが、まったく気づきませんでした。
3時にティータイムがあり、その後井上先生に敷地内にある郵便局に連れて行ってもらい、アーサナの本を買いました。もちろん、ここカイヴァリャダーマから出ている本です。

病院なので仕方がないのかも知れませんが、ここの食事はわたしにとっては少し薄味過ぎました。粉末のにんにくを持っている人がいて、みんなはよくそれをかけて食べていましたが、わたしにはまったく口に合いませんでした。ですからときどき、町に食べに行くことがありました。

12月9日。
モーニングティーも飲まずに、ずっと部屋で寝ていました。アーサナには出て、またベッドへ直行です。ここ一両日の睡眠の取りかたは尋常ではありません。どうしてこんなに寝られるのか不思議なくらいです。眠る病気というのも聞いたことがありませんので、きっとインドに来て一ヶ月間の疲れが一気にやってきたのかも知れません。
3時半頃、ボーとした頭を切り替えるために散歩がてらにローナワラの町に。お菓子やスナックをつまみ食い。
明日は、近くのカルラ・テンプルにでも行くつもり。
by preman9798 | 2010-12-17 09:53