長年学んできたヨーガと大好きなインドの話です


by preman9798
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久しぶりの雨

今日、9月8日はわたしのもっとも尊敬するシヴァーナンダさんのお誕生日です。
オーム ナモー バガヴァテー シヴァーナンダーヤ!

水曜日は八雲教室。いつも朝早く家を出ます。満員電車がいやだからです。坐って楽ちんで行きたいのです。
今日は会場になっている「八雲住区センター」の都合で、いつもの和室ではなく、会議室でのクラスでした。
冬ではないので、床に直接マットを敷くだけでも寒くはありません。
クラスの後は月に一回の『インドの叡智』の勉強会。今日はマントラ・ヨーガのところでした。サンスクリット語の説明から入り、インドの文字、日本の文字、さまざまなマントラを学びました。
『インドの叡智』終了まであと4、5回、ちょうど12月に終わる予定です。

授業が終わって「八雲住区センター」を出たら、すごい雨。

そういえば、川崎さんやスヴァーミージーはもうリシケーシに着いたかなぁ。





わたしの初めてのインド・5

ハリオーム! 成瀬です。
前回に続き、「アナン・ニケータン」の生活をもう少し詳しく紹介します。
初めは、不便な生活に慣れずに辛い思いをしましたが、数日過ごすうちに、インドに着いた当時からの疲れも緊張も徐々に取れてきました。
この「アナン・ニケータン」の生活があったからこそ、その後インド中を回ることが出来たのだと思います。


●アナンタ・ニケータンの食事
「アナン・ニケータン」の食事は、ローティ(小麦粉を溶いて薄く焼いたチャパティと同じ)、野菜サラダ、チャイ程度で、いわゆるカレーはほとんど食べません。ローティにつけるバターやヨーグルトは牛乳を攪拌して自分たちで作ります。
インドでは牛乳屋さんが新鮮な牛乳を定期的に持ってきてくれるのです。食べるものはたしかに質素かも知れませんが、前田先生たちはこうして食事できることをとても感謝しているようでした。
「アナン・ニケータン」の周辺には三度の食事さえ摂れないで、過酷な肉体労働をする人が大勢います。中にはライスやチャパティに、おかずは塩ととても辛い青唐辛子数本だけという人もいて、そういう人たちの平均寿命はとても短いそうです。
周りに食事も満足に摂れない人がいるのですから、米一粒も野菜の一かけらも無駄にはできません。食事の最後はお皿に少し残った食べ残りも指でぬぐって、きれいにします。これには食べ物を残してはもったいないということの他にも、水が貴重なので、食器を洗うのにあまり使えないという現実的な事情もあったのです。

「アナン・ニケータン」だけではなく、インドでは水はたいへん貴重です。小屋の回りには先生自身が掘ったという井戸がいくつかあります。井戸はむやみに掘っても徒労に終わります。そこに育っている植物から判断して水脈のようなものをみつけるのだそうです。固い岩盤を砕き、火薬を使いながら、奥様と二人でたいへん苦労をして作ったと聞きました。そうやって掘った井戸が、小屋の回りに場所を変えて三つほどありました。
わたしが訪れた11月はインドでは乾季だったのですが、「アナン・ニケータン」に着いたその日、突然のにわか雨が降りました。前田先生は瑞兆だといって喜んでくださいました。なんだか、自分が褒められたような気持ちになり、少し嬉しくなりました。

井戸の水面にはインドのアメンボウやゲンゴロウなのでしょうか、小さな虫が浮いたり泳いだりしています。虫が泳いでいる水なんか飲めないと思うかも知れませんが、虫が生息しているというのは飲める水の証拠なのだと教えられました。腐った水では虫も生きていられないのです。
水を汲むときは、柄にロープを結びつけたバケツを井戸の中に放り投げて汲み上げますが、乾季になると水位は低くなり、水も汲めなくなってしまいます。そうなると遠くの泉まで、水を汲みに行かなくてはなりません。頭に壷やバケツなどの容器を乗せて何十分もかけて水を汲みに行くのです。

インドの女性たちは、頭に乗せた水を少しもこぼさず上手に歩きますが、慣れないと、せっかく汲んだ水を歩くたびに頭から浴びてしまうことになってしまいます。水の入った重たいバケツを頭に乗せながら、姿勢をまっすぐにして歩かなくてはなりません。でこぼこ道を歩くのに、足元を見ることも出来ないのです。
そうやって集めた水を石でできた水槽に入れ、大切に使います。岩盤を通って湧いた水なので、ほんとうのインドのミネラル・ウォーターです。
しかも、石の水槽なので気化熱によってとても冷たく冷えています。インドの地層を長い間流れてきた「アナン・ニケータン」の水は、ほんとうに冷たくておいしいミネラル・ウォーターでした。
顔を洗ったり歯を磨いたり食器を洗ったあとの水は、小屋の回りの植物や野菜にかけます。一滴も無駄には出来ません。
インドには、カースト(ヴァルナやジャーティ)と呼ばれる身分制度のようなものがいまだ残っていますが、このカーストの中で不可触民と呼ばれる最下層の人たちは、上位カーストの人たちからこの水を使わせてもらえなかったという歴史があります。暑い国インドで、水を使わせてもらえないというのは生死に関わる問題なのですが、そうやって不可触民の人たちは差別されていたのです。

●アナン・ニケータンのトイレ事情
「アナン・ニケータン」のトイレは小屋の外にあります。地面に直径6~70センチ、深さ7~80センチくらいの穴が掘ってあり、その穴に足を乗せられるくらいの幅の板が二本渡してあります。ご存知の方も多いと思いますが、インドでは用を足した後は紙ではなく水で処理するのが一般的です。そして、最後はシャベルで上から土をかけて終了です。まるで、「アナン・ニケータン」の生活すべてがサバイバル・ゲームのようです。
ちなみに、トイレの回りは、申し訳程度に細い棒切れを立てた囲いがありますが、隙間だらけなので、あってもなくても同じようなものです。
トイレが排泄物で一杯になると、それを掘り返し飼料として使うのだそうです。そういえば、昔の日本も水洗ではなく、汲み取り式のトイレでした。しかし、それを前田先生自身がなさっているということに頭が下がります。

夜、トイレに行くときは回りが真っ暗で何も見えませんので、懐中電灯が必要です。インドの山奥なので、月が出ていない夜などは鼻をつままれても分からないくらいの真っ暗闇です。なにやら獣も出そうな雰囲気です。恐いので、ちょっとくらいの便意ならば我慢してしまいます。
実際、一、二カ月後に「アナン・ニケータン」に戻ってきたわたしは、夜、小屋のすぐ近くでトラのうなるような声を聞き、真っ青になりました。
小用のときは小屋の前に植わっているマンゴーの樹の根本にかけます。前田先生にそうしてくださいと言われたのです。飼料が不足しているので、栄養分になるのだそうです。
残念なことに時期的なこともあり、わたしたちの養分で育てたそのマンゴーは食べることができませんでした。

●アナン・ニケータン周辺
当時、「アナン・ニケータン」では、マンディルを建築中でした。マンディルとは、仏教やヒンドゥー教の「寺院」のことをいい、お祈りをするための部屋、修行者用の小部屋や診療所などからなっています。まだ地ならしの段階でしたが、泥運びや土ならしのようなことを手伝わせてもらいました。あの暑いインドでの日中の肉体労働は堪えます。
地面をならしていると、泥の中から赤黒い小さなサソリが出てきました。これに刺されると、大の大人でも何日間か痛みと熱でうなされると聞きました。あぶねぇ、あぶねぇ。
マンディルの前はとても雄大な景観が広がっています。遠くの正面には山の頂が平面になっている軍艦のような形をした山があります。高さは900メートルくらいあるそうです。

11月4日、正面に見えるこの山に登ることになりました。前田先生は険しい山道を山猿のようにどんどん登っていきます。年齢が半分のわたしでしたが、後について行くのが精一杯でした。山の中ではぐれたらそれこそ大変なことになってしまいます。
大汗をかきながら必死で登った山の頂は、グランドのように平らになっていて、池のようなものもありました。
そして驚いたことに、古くなった大砲がいくつか残されていました。この西インド一帯をマラータといいますが、17~8世紀、イスラームのムガル帝国の大軍と勇敢に戦ったマラータ同盟軍の大砲ということでした。この平らになった山の上からムガル軍に向って発砲したのかも知れません。その後、マラータ地方の征圧に失敗したムガル帝国は、徐々に力が衰えていきます。マラータ同盟の基盤を作った英傑シヴァージーの像が、ローナワラから電車で一時間ほど離れたプーナ(プネー)の駅前に立っています。このように、「アナン・ニケータン」のあるローナワラやプーナは、歴史的な地域でもあるのです。

山に登った帰りに、村の小学校に寄りました。トタンで作られた小さな校舎の中で村の子どもたちが勉強していました。前田先生はその学校の先生たちとも知り合いのようで、授業中だったにもかかわらず、先生も生徒もみんな校舎から出てきてしまい、記念撮影となりました。もしかしたら、子供たちよりも学校の先生のほうが写真を撮ってもらいたかったのかも知れません。何度も写真を送ってくれと言っていました。子どもたちはニコニコして、みんな素朴で可愛い子たちでした。

その日、「アナン・ニケータン」には3時ころに戻ってきました。疲れたけれどとても楽しい一日でした。
夕食後、いつも前田先生からいろいろな話を聞くのですが、それがとてもおもしろく、勉強になります。それはきっと机の上の哲学や書物の中の知識ではなく、先生が体験されてきた今のインドの現実に直結した話だからなのでしょう。

わたしは、これからインド中を旅行したいということを前田先生に話し、どことどこを訪れたら良いのか、アドヴァイスをお願いしました。
先生は1ヶ月でインドを一周するルートと、インドのあちらこちらにいる先生の教え子や、ヨーガ・アーシュラムへの紹介状を書いてくださいました。

先生の考えてくださったルートを参考に、わたしのインドの旅が始まります。「アナン・ニケータン」で前田先生や久保さんたちと過ごすうちに、ボンベイの空港や駅で受けたカルチャー・ショックからも大分立ち直り、インド中を旅行する元気が湧いてきました。
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by preman9798 | 2010-09-08 18:15 | Comments(0)