長年学んできたヨーガと大好きなインドの話です


by preman9798
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スヴァーミージーのヨーガ

スヴァーミー・ヴィシュヴァルーパーナンダジーのヨーガ、インドの伝統的なヨーガでした。
結局、スヴァーミージーの行ったことは、道具を使わない無理をしないアーサナ、インド古来の教えに基づいた哲学レクチャー、キールタンやマントラ。珍しいものや特別に目新しいものはありませんでした。
なんだかとてもうれしかったです。わたしの中の新たな自信につながりました。
やはり伝統的なインドのヨーガをコツコツとやってきてよかったと。
今はあまりもいろいろなヨーガがありすぎるような気がします。
もう一度インド古来の伝統的なヨーガを見直すことが必要なのではないでしょうか。
生徒やお客さんが求めるヨーガを提供する、という考えもあるでしょう。
しかし、自分が本当に伝えたいヨーガは何なのか。
その答えを持っていないから、いろいろなものを無秩序に付け加え、その結果としてヨーガとは言えないようなものになってしまうのではないでしょうか。
スヴァーミージーのヨーガを見ていて、自分のヨーガは間違っていなかったという誇りを持つことができました。





わたしの初めてのインド・4

ハリオーム! 成瀬です。
前田先生との出会いは、その後のわたしのヨーガ人生に大きな影響を与えることになります。
今回は、前田行貴先生と「アナン・ニケータン」の質素な生活ぶりを書きたいと思います。

●前田行貴先生
前田行貴先生は熊本県出身で、熊本大学を卒業された後、スウェーデンに留学され、その帰りにインドに立ち寄り、その後ずっとインドに住まわれています。大学での専門は「土壌微生物学」ということで、インドの植物などにもたいへんな知識をお持ちです。また、先生は日蓮宗の藤井日達上人やガーンディーさんを尊敬されています。
インの代表的な観光地アーグラーのタージ・マハルのすぐ近くにある「救ライセンター(ライ病の研究や治療のための施設)」の創設にも大きく関わったと聞いています。数年前、タージ・マハルを訪れた帰りに、このセンターの前を通ったときは、感慨深いものがありました。

前田先生と接した人は皆、真摯で誠実なお人柄はもちろんのこと、その知識と経験の豊かさに驚かされるでしょう。ときどき、日本から来たヨーガの団体の案内をされたり、比叡山や高野山の僧侶たちの仏跡ツアーの案内もされます。
あまりもいろいろなことをなさっているので、これが本職ということは言えません。また、本もたくさん出されていますので、その一部を以下にご紹介します。
前田行貴先生はわたしの尊敬する師の一人です。その後、日本にいらしたときには、わたしの家に泊まっていただき、再会を喜び合いました。

『蓮と桜』蓮河舎・1989年
『釈尊の国からきた神』蓮河舎・1990年
『佛跡巡禮』蓮河舎・1990年
『瞑想のヨーガ』蓮河舎・1991年
『釈尊の食法とウポワズ』蓮河舎・1991年

●アナン・ニケータンの質素な生活
前田先生は、お昼過ぎに着くわたしのために食事を用意して待ってくださっていました。
小屋の前の木陰で食事をご馳走になりました。正直いいまして、とても質素で、見るからに食欲をそそるというものではありませんでした。お気持ちはとても嬉しかったのですが、暑さと疲れもあって、あまり食欲がありませんでした。先生は「遠慮しないでください。遠慮しないで食べてください」と何回も言ってくださいますが、遠慮しているわけではなく、食べられなかったのです。
よく見ると、ジャムや砂糖やマヨネーズは機内食のときに出る小さな袋に入っているものでした。きっと、インドに来る人たちが前田先生のために機内食のときに食べずに、そのまま持ってきてくれたものなのでしょう。

小屋を入ったところにクリーム色をした古い冷蔵庫がありました。あの中には冷たいビールが入っていて、もしかしたら今夜はわたしの歓迎会で「乾杯!」があるかもしれないと、心の中で密かに思いました。
「アナン・ニケータン」での初日、夕方になり暗くなってきても、なかなか灯りを点けてくれません。最初は電気代を節約されているのかと思いましたが、よく見ると天井にも壁にも電球や蛍光灯らしきものが見当たりません。実は「アナン・ニケータン」には電気が通っていなかったのです。
しばらくして分かったことですが、あのクリーム色の冷蔵庫はビールを冷やすためではなく、金庫代わりに使われていたのです。先生は家を空けることが多いので、そんなときは冷蔵庫に鍵を掛けて出かけるのではないでしょうか。

やがて、久保さんやカシナッツさんがランプを持ち出しては手入れをし始めました。ランプのガラスの部分はススで真っ黒になるので、布で拭いてきれいにしなくてはならないのです。
ランプを灯すと、暗かった小屋の中は柔らかい光で満たされました。それでも、日本で蛍光灯の明るい光に慣れているわたしにとっては薄暗く感じました。
ここにきてようやくわたしも気が付きました。今こうしてここにいる電気も通っていない小屋自体が「アナン・ニケータン」そのものなのだと。
と同時に、それは密かに楽しみにしていた畳の部屋も日本のお風呂も冷たいビールもすべてなくなることを意味しています…。
畳の敷かれた部屋どころか、小屋の中は板張りです。その床板は乾燥のためか大きく反って隙間だらけで、歩くたびにガタンガタンと音を立てます。気をつけないと、いろんなものがこの隙間から床下に落ちてしまいます。わたしもつい食事中に箸をその隙間に落としてしまいました。
先生が用意してくださった布団は、中の綿が団子状態にごつごつ固まっていて背中が痛かったのを覚えています。
質素な食事、電気もない生活、ごつごつした布団、家の外にあるトイレ、それが「アナン・ニケータン」だったのです。
テレビもラジオもないので、夕食が済むと何もすることがありません。その晩は前田先生や久保さんたちといろいろなことを話しました。前田先生の知識は尽きることがありません。若いわたしのくだらない質問にも、ていねいに答えてくださいました。今、思い出しても、ほんとうに楽しく有意義な時間でした。

インドに来る前に、何人かの人に前田先生のことをいろいろとお聞きしていましたが、どういうところに住んで、どういう生活をしているのか、ということまで教えてくれる人はいませんでした。それもそのはずで、だれも実際にこんなインドの田舎まで来た人はいなかったのです。ほとんどの人が、ツアーの間の前田先生しか見ていないので、だれもこんなたいへんな生活をされているとは想像すらつかないでしょう。
まだ若かったわたしには、日本の仲間たちから聞いた立派な前田先生は、当然立派な家に住んでいるという、単純な発想と勝手な思い込みしか出来なかったのです。
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by preman9798 | 2010-09-06 20:08 | Comments(0)