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長年学んできたヨーガと大好きなインドの話です


by preman9798
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インド日記 その2

スヴァーミー・ヴィシュヴァルーパナンダジーと川崎あき子さんが、三か月の滞在を終えて、もうすぐきこくされる。
三か月は長いようで、とても短かった。
個人的な事情があり、あまりご一緒する時間が取れなかった。ごめんなさい、というよりも残念。
それなのに、先日の「さよならサット・サンガ」でシヴァ神の像をいただいてしまいました。
とても大きくて重たい像で、そのうちにきちんと祭壇のようなものを作ろうと思っていますが、今は机の上に坐って、わたしを監視しているようです。

スヴァーミージーや川崎さんとの出会いについてはまたいつかお話しすることにします。




わたしの初めてのインド・2

ハリオーム! 成瀬です。
今回は、出発からインドに着くまで。そして、ボンベイから鉄道でローナワラまで行ったときのことを書いてみます。



●出発の日
11月2日、AM11:00ころに羽田空港に着いたわたしは、ラジネーシのお弟子さんたちと合流しました。そこではじめて旅行会社の人からチケットが配られたのですが、それまで、外国に行くのになかなかチケットを渡してくれないので、もしかしたらにだまされたのではないかという一抹の不安もありました。

しばらくすると、一緒に行くというメンバーでお金を集め始めました。ウイスキーを買うというのです。何度もインドに行っている人たちなので、あまり深く考えもせず、わたしも言われた金額を払いました。後で分かったことですが、このウイスキーはインドの税関を通るときに荷物検査などがスムーズにいくための「袖の下(賄賂)」だったのです。

少し遅れてPM2:00ころに羽田を出発したエジプト航空機は、マニラ、バンコクと経由して、ボンベイに向かいました。
わたしもまたいつか利用するかも知れないのであまり大きな声では言いたくはないのですが、たまたま乗ったこのエジプト航空の客室乗務員たちは感じが悪いのを通り越して、ちょっと恐いくらいでした。ニコリともしてくれません。気楽に何かを注文するなんていう雰囲気ではありませんでした。
今ならば文句の一つも言ってやるところですが、そのときは初めての国際線でしたので、そういうものだと思っていました。
でも、これは30年も前の話です。エジプト航空も今はきっと快適なサービスが受けられることでしょう。


●わたしの初めてのインド~ボンベイ
ボンベイには夜中の3時に着いたのですが、飛行機を降りたとたんにものすごい蒸し暑さを感じました。わたしが初めて立ったインドの地はこのボンベイでした。
税関では、運が悪いといろいろとクレームをつけられるそうですが、賄賂のウイスキーのおかげなのかスムーズに通過することができました。
ラジネーシのお弟子さんたちに混じって、空港内の小さな銀行で初めて米ドルのトラベラーズ・チェックからインドの貨幣、ルピーに両替をしました。約1ルピー、30円というレートでした。

税関を出ると、今まで一緒だったラジネーシのお弟子さんたちは、プーナのアーシュラムに向かうのか、みんないなくなってしまいました。
わたしは一人空港に残され、途方にくれました。夜中だというのに空港ビルの回りにはインド人が大勢いて、窓に顔をつけては大きな眼でこちらを見ています。
最初は、うかつにこのビルを出たら襲われるのではないかと本気で心配しました。一歩もビルを出ることができませんでした。できることなら、そのまままた飛行機に乗って日本に帰りたくなりました。
へんな見栄や強がりは捨てて、ラジネーシのお弟子さんたちにくっついて行けば良かったと後悔しましたが、もう間に合いません。

とりあえず空港で朝まで過ごし、明るくなるのを待ってヴィクトリア・ターミナル駅に向うことにしました。ボンベイ市内には、行き先によって三つの大きな始発駅がありますが、わたしの目指すローナワラ行きの電車はヴィクトリア・ターミナル駅から出ることを聞いていました。


●空港から駅へ
空港から市内に向かう途中、道端に白いシーツを被った人形がたくさん並んでいました。それはまるで大きな災害か事故があって、収容しきれない死体を並べてあるかのようでした。疲れと不安と蒸し暑さとで、楽天的な気持ちになどなれません。きっと、何か大きな事故があったのに違いないと勝手に決め付けてしまいました。そして、もう心のどこかで後悔しはじめていました「やっぱり、インドになんか来るんじゃなかった…」。
後で分かったことですが、蒸し暑い夜などは、インドの人はよく家の外に出てシーツにくるまって寝るのだそうです。それをわたしはシーツで巻かれた死体だと思ってしまったのです。

やっとの思いで駅に着くと、まだ朝が早かったせいでしょうか、駅構内にも足の踏み場もないほど人が寝ています。炊事道具などたくさんの荷物を持った家族連れもいます。来るときに道路で見たように、シーツにくるまって寝ている人も大勢います。
ヴィクトリア・ターミナル駅は古いイギリス建築風のとても大きな駅でした。東京で言えば、上野駅や東京駅といったところです。

ボーっと突っ立っていると、代わる代わる物乞いのような人が近づいてきては何かをくれと手を出します。小さな赤ん坊を抱えた女の人も来ました。口に手を近づけては、食べるものをくれというジェスチャーをします。二、三度断ったくらいでは引き下がりません。逃げても移動してもずっとくっついてきて離れません。二、三十分たつと、ようやくあきらめてどこかに行きます。

インドに来る前に、絶対に物乞いの人に何かを与えてはいけないと言われていました。彼らにも労働するということを教えなくてはならないこと、それに一人にお金を与えたら、大勢の物乞いがやってきてキリがなくなるという現実的なこともあるのでしょう。
当時は空港や駅や街などに大勢の物乞いがいたのですが、最近はほとんど見かけません。インドが経済的に豊かになったということがあるのかも知れません。また、こういう人たちを外国人の目から隠すためにどこかに隔離したという話も聞いたことがありますが、本当のところは分かりません。

話し好きなインド人が「どこから来たのか?」と聞いてきました。日本からヨーガを勉強しに来たというと、ヒンディー語は出来るか聞いてきました。NOと答えると、今度は、サンスクリット語は出来るのかと聞いてきました。また、NOと答えると、「どうしようもないな」といわんばかりに肩をすくめるとどこかに行ってしまいました。腹が立ったので日本語で「大きなお世話だ!」と言い返してやりました。もちろん、怖いので心の中で、です。

とにかく、ローナワラ行きの切符を買わなくてはならないのですが、日本と違ってとてもややこしく、利用する日時や座席の等級、行き先などで買う窓口が異なるのです。
あっちへ行ったりこっちへ行ったりしてようやく切符を買うことが出来ました。切符を買うときは日本のように行儀よく並んだりせず、小さな窓口にみんな一斉に手を突っ込んでは大声でワイワイガヤガヤ行き先などを言って切符を買うのです。
インドではこんなことにひるんでいては、いつまでたっても何もできません。荷物が盗まれないように気をつけながら、わたしも窓口に手を突っ込みました。

苦労して切符を買い、ホームに入っている電車を探し、自分の座席をみつけるとようやく気持ちが落ち着いてきました。電車が出るまで時間があったので、チャイを飲むことにしました。

インドではどこの駅のホームでもチャイを売っています。一杯25パイサ。当時は1ルピーが30円でしたので、7~8円といったところでしょうか。
小さめのカップを受け皿に乗せて出してくれました。お世辞にも清潔とはいえません。でも、はじめて飲んだチャイのおいしさにほんとうに感激しました。日本でも、当時はまだ少なかったインド料理店でチャイを飲んだことがありましたが、まったく別の飲み物のようです。あまりのおいしさに、二杯も飲んでしまったのを覚えています。

猫舌なのでしょうか、インド人はみなカップから受け皿に少しずつチャイを注いでは飲んでいました。ずっと後になって、昔はヨーロッパでもこのようにして飲んでいたということを聞きました。


●初めての鉄道
ヴィクトリア・ターミナル駅からローナワラまでは三時間くらい掛かります。かつての日本の電車のように、チョコレート色をしたなんとも重厚な電車です。
始発だからでしょうか、電車は遅れることなくヴィクトリア・ターミナル駅を出発しました。電車はゆっくりと走り始めます。ドアも自分たちで開け閉めしますので、走り始めてから飛び乗ってくる人もいます。
ローナワラは高原にあるため、電車はゆっくりと走っていきます。時々、ドアを開けたままの出入り口のステップに腰かけ、外を見ながら走っていくのもとても気持ちの良いものです。こんなことは、日本の鉄道では考えられないことです。
向かい合っている席にはインド人老夫婦が坐りました。とても品のあるご夫婦で、ローナワラが近づいたら教えてやると言われました。
電車の窓から見る外の風景は日本の田園風景ととても似ていました。緑の田んぼが広がる中、よく見ると線路沿いに屈みこんで、走る電車を見ている人たちがいます。一人や二人ではありません。間隔を置いて何人もの人が屈んだままで電車を見ています。中には後ろ向きに屈んでいる人もいます。
はじめ、田舎だから電車が珍しいのだと思いました。日本でも昔は、走る電車に向って手を振ったりしたものです。
しかし、しばらくその風景を見ているうちに、さすがにピンと来るものがありました。みんな、朝の用足しをしていたのです。朝一番のトイレです。水の入った空き缶などをもって家を出ては、近くの草むらや川沿い、あるいはこのように線路沿いに屈んでは用を足しているのです。空き缶の中の水がトイレット・ペーパー代わりです。
その後、わたしも西インドのゴアというところで民家に泊まったとき、同じようなトイレ経験をすることになります。
それまで緊張と不安の連続だったせいか、ローナワラまでの短い鉄道の旅はとても快適でした。
ボンベイのヴィクトリア・ターミナル駅を朝早く出た電車におおよそ三時間ゆられ、11時ころにローナワラに着きました。

〈つづく〉
by preman9798 | 2010-09-02 20:12