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長年学んできたヨーガと大好きなインドの話です


by preman9798
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富士と三島

24日、25日と静岡県富士市と三島に行ってきました。

24日は富士市の土井理恵先生の「プラナヴァム・ヨーガ・スタジオ」で5周年記念のイベント。
新幹線で新富士駅へ。
毎月行っている三島駅の隣の駅ですが降りるのは初めてです。
う~ん。駅前には何もない……。
しかも曇っていて、肝心の富士山がまったく見えません。
迎えに来ていただいた土井先生とスタジオに、駅から30分くらいでしょうか。
家では土井さんの旦那さんが迎えてくださいました。
たしか、以前高円寺のシヴァーナンダ・センターでお会いした時は「坊主頭」だったと記憶していたのですが…。

三島から加藤照美先生やTさんやOさんが参加してくれました。
TさんもOさんもY.L.S.の養成の卒業生ですが、とても熱心で加藤先生の片腕になりつつあります。
イベントは7:00からですが6:30頃から徐々に生徒さんたちが。
スタジオは超満員です。
男性もたくさんいます。

講義の内容は「ヨーガの流派と教典」ですが、皆さんメモをとったり、録音したりととても熱心でした。
終わってからはみなさんが持ち寄った料理やデザートで大盛り上がり。
そしてヨーガクイズ大会。
とても楽しい、和気あいあいとした集まりでした。
年配の方も多く、そのあたりはヨーガ・サンガティやY.L.S.と似ているかもしれません。

加藤先生たち三島組とわたしは三島に戻りました。
ビジネスホテルに宿泊。
25日は三島の「ヨーガ・スペース・ビージャ」で授業です。
午前中は『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』の四回目の講義。

その後、「スパイス」というベジタリアンレストランで昼食。
おいしかったけれど、量が多い! 食べきれませんでした…。
お店を出ると、近くにある有名なうなぎ店からうなぎを焼く匂いが…、たまりません。
お腹がいっぱいのはずなのに、この匂いのせいでまた食欲が出てきてしまいました

スタジオに戻り、第6期養成コースの始まりです。
13:00~15:00までは『インドの叡智』。
自分で言うのも変ですが、やはり『インドの叡智』の学習は楽しいです。

15:15~17:15は実技解説。
ヨーガの基本的と坐法がメインでした。

24日25日とちょっと大変でしたが、頑張りました。
来月は、28日(土)と29日(日)に三島に行きます。
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by preman9798 | 2014-05-26 07:20 | Comments(0)

八雲の勉強会

今日、通常の八雲のクラスの後、12:15~13:45まで『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』の勉強会がありました。
先月もプレ勉強会として、教典の最初の部分を学びましたが、本格的な勉強は今日からです。
狭い部屋ですが10名も参加してくださいました。
急に来られなくなった人が2、3名いるので、ありがたいことに満員状態です。
今日は第1章3節までしか進めませんでした。
質問もあり、みなさん熱心に聞いてくださいました。

ただ、11:45にレッスンが終わってから12:15の開始まで、30分しかありません。
30分で着替えたり、トイレに行ったり、食事をしたり、とてもせわしないです。
勉強会の開始を12:30からにしたほうがよいかなぁと思っています。

喜多見のY.L.S.、三島のヨーガスペース・ビージャ、そして八雲ヨーガ・サンガティ。 
ひろがれ!  『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』の輪!




わたしの初めてのインド・60  最終回

ハリオーム! 成瀬です。
長かったような短かったような初めてのインド旅行。
本当にいろいろなことがありました。
いろいろな出逢いがありました。
いろいろな人に助けられました。
いろいろな経験をしました。
25歳の初めての外国旅行、初めてのインドでした。
35年以上経った今でも、自分が歩いた一歩一歩、すべてはっきりと覚えています。


●さようならインド! そして、ありがとうインド!
3月12日。
前田先生が断食をしては、と勧めてくださいました。正直、今まで食べすぎたことはあっても、断食などしたことはありません。
未経験の断食ですが、なんだか断れない雰囲気です。ものすごくお腹が減るだろうな。象永さんも一緒にやると言っています。
前田先生の断食は、お釈迦様がやられたものだということです。
お話を聞くと、二日間だけ食事を抜くということです。今まで一日も食事を抜いたことなどありませんが、二日間なら何とかなりそうです。ここらへんで少し根性のあるところを見ていただかないと…。成瀬がんばれ!
しかし、初めての経験なので、ちょっと心配です。もし、途中で辞めたらみんなになんて言われてしまうだろう…。
断食の一日目はお腹が空きましたが、なんとか過ごすことができました。何もしないよりは、何か仕事をしていたほうが気がまぎれます。
断食の間、その人の身体の悪いところが出ると聞きました。一緒に断食をした象永さんは腰が悪いらしく、とても痛がっていました。
わたしはどこも悪いところはないのですが、やたら眠くて仕方がありませんでした。一日目、ちょっと用事があってローナワラに行ったのですが、バスの中でコックリコックリ。隣の席のインド人に何度も頭をぶつけてしまいました。睡眠不足だったのでしょうか…。

断食二日目。やたらと食べ物のことが頭に浮かびます。今まであまり食べたことのないものまで浮かんできます。
断食が終わったら、あれを食べよう。これを食べよう。あれも飲もう。これも飲もう。一日中食べ物のことばかり考えていました。レストラン二軒分くらいの食べ物が浮かんできます。たった一日食べないだけなのに、本当に情けない話です。
そして、二日目の夜、断食が終わるというときに「お流し」をするのがこの断食の特徴なのです。
「お流し」とは、五種類の野菜を食べながら、梅湯を何杯も飲むのです。わたしの場合、インドなので梅干しが手に入らないのでレモンに塩をいれたもので代用しました。
五種類の野菜は、ニンジン、キャベツなどなるべく色も味も違う五種類の野菜を用意し、それに味噌などをつけて食べるのです。
野菜を食べながら、梅湯(レモン湯でしたが)を何杯も飲みます。わたしの場合、二杯目を飲んだあたりから、お腹がグルグル鳴り出し、トイレに行きたくなりました。
前田先生も象永さんも何も言いません。二人とも梅湯を飲んでいます。わたしはもう我慢が出来なくなり、トイレに立ちました。アナンニケータン、トイレは外です。真っ暗です。怖いです。もうトラは出ないと思いますが…。
はじめ下痢のような便が出ます。さらに梅湯を飲み続けます。またトイレに行きます。これを何回か続けるうちに、便ではなく、今飲んだ梅湯が出るようになります。そしたら、終わりです。腸がきれいになった証拠です。
終わった後、チャイを飲みますが、こんなおいしいチャイはないというくらいおいしいものでした。
断食後、しばらくは油気のあるものやこってりとした食べ物は避けた方が良いとのことですが、アナンニケータンにはもともとそんなものはありません。
この断食を月に一回はやると良いと教えていただきました。塩分や糖分の摂りすぎも調整されます。
前田先生のお話では、人間が死ぬ間際というのは断食したときと同じような状態になるということです。断食を経験したことのある人は死ぬ際にパニックに陥らないということでした。でも、その話を聞いたわたしはまだ若かったので、あまりピンと来ませんでした。
そして、わたしが日本に帰ったとき、もう一度この断食をしてくださいというアドヴァイスを受けました。
通常は、しばらくぶりで日本に帰ると、懐かしさからかつい日本食を食べすぎてしまい、それが内臓の疲れになり、なかなか旅行の疲れが取れないということです。
一度断食をして内臓を休めたほうが、結局は早く疲れが取れるということでした。


3月13日。
松田さんが明日日本に帰るので、前田先生と象永さんがアナンニケータンからボンベイへ。



……実は、この先の日記がありません……。書かれていないのです…。
このあと、わたしが何日間何週間インドにいたのか日記がないのでわかりません。おそらく3月の終わりごろまでいたような気がしますが、何日に帰国したのか、正確な日付は分かりません。
突然ではありますが、長かった「わたしの初めてのインド」をこれで終わりにさせていただきます。

羽田空港に着いたわたしは家に電話をし、今無事に帰ったことを伝えました。そして、たま
たま電話に出た父に、荷物がたくさんあるので利用駅である都営三田線の「蓮根駅」に迎えに来てくれるように言いました。
父は、しばらくぶりで聞く息子の声に興奮してか、弟と一緒に羽田空港まで行ってしまいました。わたしはちゃんと「蓮根駅」と言ったのに。
実は、成瀬家はそういう早とちりしてしまうところがあるのです。
「蓮根駅」で待っていたわたしは、いつまでたっても誰も迎えに来てくれないので、もう一度電話をしました。すると、今度は母が出て、今、父と弟が羽田まで迎えに行ったとのこと。
結局、たまたま車で家に遊びに来ていた叔母さんに迎えに来てもらいました。

インドから帰った直後のわたしの顔、自分で言うのも変ですが、何とも言えない穏やかな顔つきでした…。数日後にはもとに戻ってしまいましたが。
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by preman9798 | 2014-05-21 17:52 | Comments(0)

17日の土曜日

17日(土)、喜多見でY.L.S.の定例学習会がありました。
家を早めに出て巣鴨、新宿、成城学園前と乗り換えて喜多見へ。
時間があったので、駅前のドトールでお茶。

お店に入ると、インストラクターのNさんがサンドイッチを食べていました。
「これからヨーガなのに、食事かい」と、眼で牽制。

しかし、実はわたしドトールに入る前に立ち食いそばを食べていたのです。
ごめんなさい。

さて、授業。
今日は『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』第2章の14節からです。
第2章はプラーナーヤーマとシャット・カルマ編です。
とても面白いところです。

すでに第2章はほぼ完成しています。あとは校正するだけです。
第1章と第2章を合わせて出版したいと思っています。
350ページくらいになりそうです。

もし、出版できたら、自分へのご褒美にインドへ。






わたしの初めてのインド・59

ハリオーム! 成瀬です。
トリヴァンドラムから電車で一気にローナワラヘ。


●ローナワラへ
3月3日。
午前中に海を離れ、トリヴァンドラムの町へ戻りました。
以前泊まった「ツーリスト・ホーム」に。
夕方、民芸品を買いに行きました。象牙は高かったけれど、お土産用にとサンダルウッド製の「しおり」をいくつか買いました。
夜、またビールを飲んでしまいました。おいしかった。ゲプッ。


3月4日。
朝、8時発の電車でローナワラへ。
3月5日は、丸一日電車の中。ファースト・クラスなのでコンパートメント。何人かの個室になっていて、車掌さんが見張っているので、モノ売りや怪しい人は入ってこられないようになっています。
座席も木製ではなく、ビニール製の少し柔らかいシートです。ボケーッとして窓の外を眺めながらの旅は嫌いではありませんが、丸丸一日電車の中は退屈でした。
途中、インド人の中年男性が乗ってきました。退屈なのでいろいろいと話をしました。
髪の毛が伸びていたわたしを見て、床屋に行けといわれてしまいました。大きなお世話だ!  

デカン高原に大きな夕陽が沈んで行きます。地平線に沈む夕陽なんて日本では見られないのではないでしょうか。とても感動的でした。
デカン高原を走る電車。駅でもないのになぜだか電車が止まってしまいます。乗客たちは勝手に降りて身体を伸ばしたりしています。中には立ち小便をしだす人もいます。
インドの電車は自動ドアではないので、勝手に降りられるのです。走り出すときは汽笛を鳴らし、ゆっくりゆっくりと走り出します。乗客は別にあわてもせず、電車に乗ることができるのです。
これがこのインド旅行の最後の旅だと思うと、何とも言えない気持ちです。


3月6日。
朝の9時、ついにローナワラに着きました。長かった! 丸二日間、電車の中でした。
とりあえず、カイヴァリャダーマに行くことに。清水さん姉妹が来て、今、前田先生がローナワラの駅にいると教えてくれました。急いで駅に行ってみたら、待合室には森さんとヴィラジェシュヴァさんがいました。二人とも今までアナンニケータンにいたようです。そして、これから前田先生と一緒にボンベイに行くとのこと。
前田先生は、松田さんが日本に帰るエジプト航空のチケットの予約のために、ボンベイに行くとのことでした。
この日はカイヴァリャダーマに泊めてもらうことに。カイヴァリャダーマは本来ならば、マハラシュトラ州が認めたちゃんとしたヨーガの施設なのに、わたしにとってはホテル代わりです。本当に申し訳ありません。


3月7日。
アナンニケータンにわたし宛の手紙が来ているとのことなので、日帰りで取りに行きました。バス停で久しぶりにケダルさんと会いました。
昨年の暮れ、日本人のツアーでリシケーシに来た大西さんからの手紙がありました。
家からの手紙とシヴァーナンダ・アーシュラムでお世話になったシヴァシャンカラーナンダさんからの手紙もありました。あれから、シヴァーナンダ・アーシュラムの人たちにわたしが手紙を書いていないのでみんながっかりしているとのこと。本当に申し訳ありません。ごめんなさい。


3月8日。
松田さんと一緒にプーナへ。バグワン・シュリー・ラジネーシのアーシュラムに。白人がやたらと多く、中には日本人もいます。数百人はいたでしょうか。弟子たちは皆、オレンジ色の服を着ています。
通常、スヴァーミーがオレンジ色の服を着て、弟子たちは白い服を着るのですが、ここでは反対に、ラジネーシ自身は白い服で、弟子たちがオレンジ色の服を着ています。
庭がとてもきれいでした。いろんな花が咲いていました。こんなきれいなアーシュラムの庭は見たことがありません。思ったほど悪い雰囲気ではありませんでした。
アーシュラムの敷地にはブティックのような売店があり、ラジネーシの写真、ラジネーシの顔写真の入ったペンダント、衣服、本などが売られていました。
そういえば、わたしが日本から一緒に来た人たちはラジネーシのお弟子さんたちでした。全く縁がないというわけではありません。

ラジネーシのアーシュラムを出た後、インドのよくわからない映画を観て、ローナワラに帰りました。アナンニケータンに帰るバスがなくなった松田さんは、カイヴァリャダーマのわたしの部屋に泊まることに。松田さんのいびきがうるさかった。


3月11日。
アナンニケータンに。その夜、前田先生、久保象永さん、松田さん、わたしの四人でお酒。しばらく飲まなかったせいか、酔っ払いました。
前田先生の飲み方なのでしょうか、ミルクを温めてその中にウイスキーを入れるのです。意外とおいしかった。
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by preman9798 | 2014-05-18 09:08 | Comments(0)

ゴールデンウイーク

ゴールデンウイークですが、何もしません。どこにも行きません。

ひたすら部屋にこもって『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』の訳と解説を仕上げています。

天気が良いのに行くところもありません。寂しいですね。




わたしの初めてのインド・58

ケープ・コモリン(カニャー・クマーリー)は暑かった!

●ケープ・コモリン
3月1日。
日中は暑すぎて、どこにも行く気がしません。外を歩いていると、頭がクラクラし、身体中の水分が全部蒸発してしまいそうです。
前田先生に紹介状を書いていただいた「ヴィヴェーカーナンダ・プラム」というアーシュラムに行きました。ツーリスト・インフォメーションの前から無料のバスが出ています。歩いても20分くらいですが、この暑さではとても歩けません。
「ヴィヴェーカーナンダ・プラム」の大きな敷地にはオフィスと宿舎がありました。博物館のようなものがあり、ヴィヴェーカーナンダの生い立ちが写真とともに紹介されていました。アーシュラム内には本屋もあり、ヴィヴェーカーナンダやラーマクリシュナの本が売られています。

とにかくケープ・コモリンは予想外の暑さで、もう一泊するつもりでいたのですがとても耐えられません。トリヴァンドラムに戻ることに。
ホテルをチェックアウトして、バス停に。そこで、日本人に会いました。関西の人のようです。一緒にバスに乗りました。
しばらく走ったところで、大きなバス・スタンドに。てっきり休憩なのかと思いましたが、いつまでたっても走り出しません。
やがてみんなバスを降り、ザワザワしだしました。いやな予感がします! なんとストライキだとかで、もう今日はバスは走らないとのこと。だったら、なんで最初に言わないんだよと文句を言ったところでどうしようもありません。

足止めを食ったバスの乗客たちは、乗り合いのタクシーでトリヴァンドラムに。一人10ルピーも取られ、バス代も戻ってきません。小さなタクシーになんと10人も乗せられました。どうしてこんなに乗れるのかと思うくらいです。この暑さの中、身体を少しも動かすことができません。男も女もありません。
ケープ・コモリンに来るときのバスの中は灼熱地獄でしたが、ケープ・コモリンを出ていくときのタクシーはぎゅうぎゅう詰めです。
ケープ・コモリンは聖地ですが、どうもわたしにとっては鬼門だったようです。

ようやくトリヴァントラムに着き、コバラム・ビーチへ。バスで80パイサ。ここは、ストライキは行なわれていませんでした。よかった。

コバラム・ビーチに着いたのは夜でしたので、右も左もまったくわかりません。何度も経験しているインドの夜。なにも見えません。一歩も歩けません。そこへちょうど客引きが来たので、安ホテルに連れて行ってもらうことに。
それにしても、インド人はどうして夜でも目が見えるのでしょう。わたしは全く見えないのに、いくら慣れているとは言え、客引きはすたすたと前を歩いて行きます。
もしこんなときに誰かに襲われたら、どうすることもできません。逃げることもできませんし、身ぐるみはがされても追いかけることもできません。顔さえろくに見えないのですから。
10分くらい砂浜らしきところを歩かされました。ホテルのある気配などまったくありません。ゴアのときと同じ「プライベート・ハウス」のようです。
そして、連れていかれた家の中にはすでに白人が一人いました。
わたしを連れてきた男は、小さな部屋にもう一つベッドを運びこみました。わたしはその白人と一緒に泊まることに。一人4ルピー。ゴアと違うのは窓の外に波の音が聞こえるということです。蚊もいません。


3月2日。
昨夜は夜で分かりませんでしたが、朝起きたら、目の前にはとてもきれいな海が広がっていました。砂浜は真っ白で、今まで見た海では一番きれいです。
あちこちに「プライベート・ハウス」がありました。水も温かく、ゴアよりもずっと気に入りました。水着は持っていませんでしたが、下着のトランクスで泳ぎました。柄パンなので、水着に見えなくもないでしょう。ここはインド、かまうことありません。
何しろ、白人の女性が胸を出したまま日光浴しているのですから。そのそばに立って、インド人の男の人が女性を見下ろしています。女性は平気です。わたしのほうがドキドキしてしまいました。

インド人の女の子がパイナップルを売りに来ました。小さな鉈のようなものを持っていて、パイナップルの厚い皮をその鉈でスパッスパッと切ってくれるのです。甘くてとてもおいしいパイナップルでした。
しかし暑いです。白い砂浜は焼けた鉄板のようで、まともに歩けません。
そういえば、調子の良いインド人が1時に、大きな海老を持ってくるなんて言っていましたが、結局来ませんでした。お金を払っていなくて良かったです。
たしかにここら辺は大きな海老が採れるので、安く食べられると聞いたことがありました。ほんとうならば大きな海老を食べたかったけれど、仕方がありません…。

3時ころ、バス停の近くの安ホテルに移ることに。ビールが飲みたかったし、「プライベート・ハウス」では水を使うのにも不便だし、食事をするのにも不便です。
安ホテル「DEEPACK」。ダブルで10ルピー。海まではだいぶあります。夜、念願のビール。7.5ルピー。ここで働いている奴が、時計を売れとか、計算機を売れとか言ってきてうるさい。誰がお前なんかに売ってやるか!
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by preman9798 | 2014-05-01 18:29 | Comments(0)