長年学んできたヨーガと大好きなインドの話です


by preman9798
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12日(土)は恒例のY.L.S.の学習会。
今月から朝10時から狛江の「トリャンバカム・ヨーガ・センター」でアーサナと講和をすることに。
講和はサティヤーナンダさんの講演録から「他人を悪く思うことについて」の話をしました。
これは『ヨーガ・スートラ』に出ている「心の清澄を得る法」であり、仏教の「慈・悲・喜・捨」のことです。
つまり「慈・悲・喜・捨」という四つの例をあげて、他人に対してどう接すれば心が穏やかでいられるかという内容です。

12時からは近くインド料理店でランチを摂り、そのお店の二階でキールタンの練習。
二階には水パイプがたくさんありました。
映画の中でアラブ人が吸っているシーンは良く観ますが、煙草を吸ったことがないので、水パイプと普通のたばこ違いもよくわかりません。
水を通すのであまり健康には害がないのだろうか…。おいしいのだろうか…。


この後、夜の6時の学習まで時間がたっぷりあります。
喫茶店にでも入って本でも読んでいようかと思ったのですが、この日はとても寒かったので、何年振りかで銭湯(温泉)に。
祖師谷大蔵という駅の近くにがあると聞いたので行ってみることに。
寒いからなのでしょうか、温泉だからなのでしょうかか、「祖師谷温泉」は超満員状態でした。
湯船に浸かりたくても、誰か一人が出てくれないと入れないくらいです。


夜のY.L.S.の学習は『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』第3章・ムドラー。
この日は「ヴァジローリー・ムドラー」、今まで学んできたムドラーとは異なり、たいへん性的なテクニックです。
この部分だけを学んだならば、きっとハタ・ヨーガは大きな誤解を受けてしまうでしょう。
また、ある一部の学者や行者によって、これは低次元の堕落したものとしてまともに扱われなかったとも言われています。

おそらく、ほとんどの人が自分たちが学んでいるハタ・ヨーガに、このような性的なテクニックがあることなど知らないのではないでしょうか。
もちろん、「ヴァジローリー・ムドラー」は一般的なものではありませんが、このようなものも含めてハタ・ヨーガであるということを知ることも大切だと思います。







わたしの初めてのインド・28

井上先生やOさんが帰ってしまったので、アーシュラムはとても寂しくなってしまいました。


●アーシュラムの生活
12月28日。
何日ぶりかでアーサナのクラスに行きました。それなのに、どういうわけかアーサナのクリシュナ先生が来ず、仕方がないので部屋に戻り、自分でアーサナ。
久しぶりに手紙を書きました。家族、友人、そして田原先生に。いつ届くのだろう。今でこそ、アーシュラムの周辺にも国際電話を掛けられるところがたくさんありますが、当時は手紙が唯一の連絡手段でした。書くのが面倒くさいと思うときもありますが、もらった手紙はずっと後々にまで残り、思わぬ記念にもなります。しかし、ここ数年はインドに行っても電話ばかりで、手紙やはがきはまったく書かなくなってしまいました。

11時、また昼食の食べ過ぎです。食べ過ぎをコントロールできない自分を少し情けなく思います。でもほんとうにアーシュラムの昼食は美味しいのですから仕方がありません。

昼食後の12時に森さん、小野さん、わたしの三人でリシケーシの町に買い物に。雨が降っていたのでトンガで行くことにしました。森さんは運動靴、小野さんはショール、わたしは入浴用のブラシをそれぞれ買いました。町でチャイを飲み、バナナを買ってトンガで帰ってきました。
ここのところずっと天気が悪く、冷たい雨が降っています。どこにも行けません。子どものようですが、今日は三人でトランプをして遊びました。
5時15分からの瞑想。続いて6時~7時の瞑想。後半は雑念だらけでした。これからのインド滞在のこと。日本に帰ってからのこと。せっかくアーシュラムに来たのだから、何か一つ専門的なことを学びたいということ、などなど。

瞑想が終わった後、日本語のできるシヴァシャンカラーナンダさんに、ジャパ・ヨーガを教えてくださるよう、お願いしました。快く引き受けてくださったのですが、ただ、明日の木曜日はグルの日なので、グルデーヴ・シヴァーナンダのためのプージャーがあるということで、明後日から教えてくれるということに。

夕食は「マドラス・カフェ」で摂ることに。オニオン・ウタッパンというインド風お好み焼きを食べました。名前の通り、お好み焼きの中にたまねぎのスライスが入っていて、これにカレーをかけて食べます。これがとてもおいしく、二枚も食べてしまいました。ウタッパン二枚とチャイで、2ルピー85パイサ。90円弱です。帰りにビスケットを買いました。ビスケットは、日本のようにたくさんの種類はありませんが、味はどれもなかなかのものです。インドには甘いお菓子がたくさんありますが、極端に甘いので、ビスケットあたりがちょうど良いようです。
部屋に帰る途中シャンカールに会ったので、毛布を貸してくれと頼みました。快く貸してくれたのは嬉しいのですが、大分汚れています。アーシュラムはホテルではないので仕方がありません。

小野さんもリシケーシが思った以上に寒く天気が悪いので、近々アーシュラムを出るとのこと。森さんと一緒にデリーに行くらしい。井上先生やOさんがいなくなったばかりで、そのうえ森さんや小野さんまでいなくなったらとても寂しくなります。
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by preman9798 | 2011-02-14 08:42 | Comments(2)

八雲教室の勉強会

9日の水曜日は八雲教室がありました。
ベテランさんと新人さんが混じっている、とても良い雰囲気の教室です。
教室の後は、毎月第二水曜日に行っている勉強会。
実は『インドの叡智』をテキストにしての勉強は、今回で最終回となります。
5月からは、新しいテーマでの勉強会を開く予定です。

最終回は、わたしの大好きなシヴァーナンダさんの話でした。
どうしてもシヴァーナンダさんの話になると感情的になり、涙が出そうになってしまいます。
生徒たちの前で大の大人が涙を見せるわけにはいきません。何とか頑張りました。 ハイッ!

最終回ということで、勉強会の後はみんなで懇親会。
都立大学跡の公園内にある喫茶店。そういえば前にも一度来たことがあったお店です。

会話が盛りあがったせいでしょうか、ついついプライベートなことまで話してしまいました。
みんな忘れてくれていると良いのですが…。
わたしの悪い癖は、簡単に約束してしまい、後で後悔をするということです。
でも今回は何も約束はしなかったと思います…(…ほっ)。

その後、7時からは代々木UTLでのレッスン。
UTL出のレッスンは、いつもあっという間に終わってしまうような気がします。
同じような内容でも、時間がとても短く感じるのです。
スタッフさんからは、時間通りに終了してくださいと言われているのですが、
どうしても延びてしまうのです。




わたしの初めてのインド・27

シヴァーナンダ・アーシュラムのクリスマスはとても盛大なものでした。
日本にいれば、お正月までの慌しい一週間が始まります。


●アーシュラムの生活
12月25日。
5時起床。洗顔。部屋で少しアーサナ。9時半にOさんの部屋に行ったがいませんでした。シャンカラーナンダさんの部屋に行ったのですが、入口に靴が脱いでなかったので、どこかに出かけているのでしょう。
そういえば、今日は近くの丘でスペシャル・プージャーがあるはずです。朝の9時から始まると聞いていましたが、行ってみると、まだ人はあまり集まっていませんでした。
丘の上の野原に小さなお堂があり、その中に神様が祀られているようです。そのお堂の前に敷物を敷き、みんなでキールタンやお祈りをしました。なかなか良い気分です。
バイスプレジデントのマドヴァーナンダさんやシャンカラーナンダさんも来ていました。井上先生や森さんの姿が見あたりません。今日、このプージャーがあることを知らないのだろうか。わたしも久しぶりに写真を撮りました。
11時頃、この原っぱでみんなで食事を摂ることになりました。いつものダイニング・ホールでのステンレス製の食器ではなく、木の葉をあわせて乾燥させた食器です。メニューは普通のご飯、おかゆみたいなご飯、ブリアニなど、そしてサブジー。それにパパド、バナナ、ココナツ、甘いお菓子、ミカンなどたいへん豪華でした。
昨日もクリスマスの特別メニューで豪華だったのに、今日もまた凄い食事です。たしかダッタートレーヤ神のお祭りだと聞きましたが、12月の満月の日に祀るということでした。
面白いことに、食事のメニューの豪華さでその日がお祭りであったり何かの記念日であったりが分かるのです。

Oさんと対岸のマストラム・ババに会いに行きました。手土産はバナナです。隣に坐ってしばらく瞑想をしたのですが、相変わらずマストラム・ババは黙ったままで、何も言いません。もっとも、何か言われたとしてもヒンディー語なので分かりませんが…。
マストラム・ババは、乾季はこうしてガンジスの河原で暮らしていますが、雨季になって水かさが増え河原にいられなくなると、どこか山の方に移動するということです。

夜、Oさんの部屋に井上先生、森さん、わたしが集まり、霊のことや何かについていろいろと話をしました。森さんの、今までのOさんに対する態度は嘘のように変わっています。
そのときOさんが、霊を浄化できる方法、霊格の高い人の特徴、霊格を高める方法、などを教えてくれました。
せっかくなので書いてみたいと思います。

【霊を浄化できる方法】
1.煩悩を絶つこと
2.我が身の業を知り、つぐないの行為をすること
3.常に神仏を意識し、自分の行ないを検討(反省・内省)すること
4.真心をもって他へつくすこと

【霊格の高い人の特徴】
1.激しい感情が起こらず、平静を保てる人
2.極めてデリケートな優しさを他へ恵むことが出来る
3.手柄顔をしない
4.真心そのもので、我が計らいを持たない行為ができる
5.先天的なひらめきがあって、決して追随せず独自の行動をする
6.周りの空間が浄められる風格を持つ
7.話す声が美しく、言葉遣いがデリケートで含蓄がある

【霊格を高める方法】
1.よい指導者を持って、謙虚な心を養う
2.反省心養う。一方的な考えではなく、周囲の考えも知るように努める
3.現世のみでなく、見えない世界にも住んでいることを実感できるようなデリケートさを持つ
4.激情から離れるように節度を保つ
5.縦のつながりを重んじること。横のつながりを選択すること
6.奉仕、礼節が果たせること


夜中、急にジンマシンが出て気持ちが悪くなり、吐いてしまいました。鏡を見たら、顔中ぶつぶつが出来て怪物のような顔になっていました。何か変なものを食べたのでしょうか。考えても、思い当たるような食べ物はありません。リシケーシに来てから、肉も魚も食べていません。アーシュラムの食事は完全な菜食です。ビールだって一滴も飲んでいません。
それとも、聖地リシケーシに来てアーシュラムで暮らすうちに、わたしの中で何かが大きく変わったからなのでしょうか。少しは霊的精神的な成長があったのでしょうか。そのためにジンマシンという身体的変調が起ったのでしょうか…。
しかし、自分自身を冷静に見つめても、残念ながらそのような魂の成長や霊的変化はないようです。少なくとも自分自身ではわかりません。ジンマシンはただ単に何か身体に合わないものを食べたからなのかも知れません。


12月26日。
朝寝坊をしました。気分が悪く、お昼過ぎまでずっと寝ていました。アーサナにも出ませんでした。あんなによく食べていたのに、食欲もなく、チャイやミルクばかり飲んでいました。久しぶりの病気です。
4時にシャンカラーナンダさんの部屋でチャイをご馳走になりました。そのとき、スヴァーミージーにガンジスの河原で拾った石に「オーム」の字を書いていただきました。直径10センチ程の「お供え餅」のような形をした石です。重い思いをして日本に持ち帰ったこの石は、今でもわたしの祭壇に飾ってあります。

その後、Oさんはシャンカラーナンダさんと瞑想クラスに。井上先生、森さん、小野さん、わたしの四人はお隣のヨーガ・ニケータンへ。ちょうどヨーガ・ニケータンでも瞑想クラスが行なわれていて、ここは二週間は滞在しないとプログラムには出られないとのことでした。
しかし、ヨーガ・ニケータンの創始者ヨーゲーシュヴァラーナンダさんにはお会いすることが出来ました。わたしにとっては日本でお会いして以来の再会です。
たまたま中山さんという日本人男性がいらして、いろいろと話をしました。ニケータンの食事はダールとチャパティだけだといっていました。そうだとすると、食事に関してはシヴァーナンダ・アーシュラムのほうが良いようです。三ヶ月で120ルピー支払うとも言っていました。ヨーガ・ニケータンはシヴァーナンダ・アーシュラムと異なり、滞在費が決まっているようです。中山さんは大陸書房から出ている『瞑想術入門』の著者山田孝男さんの紹介でここに来たと言うことでした。
ここ二三日、天気も悪く寒い日が続いています。寒くて頭を洗うことも出来ません。今日は体調も悪く、辛い一日でした。長い間にはこういう日もあります。


12月27日。
5時起床。今朝はアーサナには出ず、ヴィディヤーナンダという老スヴァーミーの部屋に行きました。ヴィディヤーナンダさんは、毎朝4時半から7時まで、自分の部屋でヴィーナーを弾きながらギーターを朗読しています。わたしは途中からお邪魔したのですが、すでに白人が二人いて静かに聴いていました。聴くというより、瞑想している感じです。
ヴィーナーのとてもよい響きで眠くなってきてしまいます。でも、正直言うと、わたしにはあのハーモニュームの音色のほうが好きです。
朝食はウプマとチャイ。
井上先生とOさんがアーシュラムを出ることになりました。井上先生はローナワラに戻り、Oさんは京都に帰ります。お二人ともいなくなってしまうととても寂しくなります。
お二人からはほんとうにいろいろなことを学ばせていただきました。ヨーガの勉強以上のことを学ばせていただきました。感謝しています。とくに井上先生の謙虚さと誠実さは、どのスヴァーミーよりも優れていると感じました。
バイスプレジデントのマドヴァーナンダさんに挨拶をし、車でハリドヴァールに。ここでお別れです。お二人はここからバスでデリーに向いました。
お二人を見送り、アーシュラムに戻り、森さん小野さんの三人でチャイを飲みに。
冷たい雨が降りどこへも行けず、何をする気にもなれず、ただ、ボーっとして過ごしました。やはり井上先生とOさんがいなくなってしまったことが影響しているのでしょう。

シヴァシャンカラーナンダさんからニューイヤー・カードを頂きました。そういえば、もうすぐお正月です。
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by preman9798 | 2011-02-11 13:02 | Comments(2)

久しぶりの風邪…

声が出ません。5日、6日と講義なのに、5日の朝起きたら声が出ないのです。
空気が乾燥していることもあり、軽い風邪をひいたようです。
風邪自体は大したことありませんが、声が出ないのでは講義ができません。
うがいをしたり、喉を冷やしたり、喉の飴を舐めたり、ようやく何とか声が出るようになりました。
UTLでの5日の講義はなんとか無事に終わりましたが、夜、今後のY.L.S.のことでHさんやKさんと打ち合わせがありました。
Y.L.S.が大きく変わろうとしています。
今まではわたしがメインでやってきましたが、これからは若い人たちに任せたいと思っています。
もちろんわたしも全面的に協力させていただきますが、イベントや学習会の企画や運営は皆さんに任せることになりました。
養成コースも計画しています。
わたしが40年近く学ばせていただいたヨーガを、少しでも若い人たちに伝えることができればと思っています。

さて、明日は八雲教室で『インドの叡智』の最後の授業です。
と言っても、内容は『シヴァーナンダ・ヨーガ』を使って、シヴァーナンダさんの話をします。

おかげ様で『インドの叡智』も『シヴァーナンダ・ヨーガ』も出版してから10年も経つのに、ずっとアマゾン書籍販売のヨーガ部門では、上位にランクされています。
ありがとうございます。





わたしの初めてのインド・26

シヴァーナンダ・アーシュラムでクリスマスを迎えることになりました。


●アーシュラムのクリスマス
12月24日。
5時起床。洗顔後、いつものように部屋でアーサナ。寒い中を、長い階段を昇りアーサナのクラスに行ったのに、最後まで先生は来ませんでした。クリスマスだから、また特別プログラムに変更になったのでしょうか。今までもこういうことがあったので、みんなマイペースでアーサナをし、銘々に帰っていきました。
今回のように、時々アーサナのクラスが突然なくなったり、先生が来なかったりすることはありますが、プージャーやサット・サンガが行なわれないという日は決してありません。やはりアーシュラムではアーサナよりも精神的・信仰的なものが重視されるようです。事実、アーサナのクラスはほとんどが西欧人や日本人たちで、インドの人はあまりいませんでした。

この日の朝食はチャナ豆の塩味。ちょっと固い感じがしますが、えんどう豆に似ていて美味しいものでした。ウプマやこういう素朴な家庭料理は、なかなか日本のインド料理店では食べることができないのが残念です。
女性が坐る場所に森さんらしい人がいたので、声を掛けようとしたら、なんと他の日本人でした。ダイニング・ホールの中がうす暗く、森さんと同じような髪型をしていたので、つい間違えてしまったようです。それに、アーシュラムにはわたしたちのほかに日本人はいないという先入観もあったのでしょう。
その女性は小野さん(小野よう子さんといいます。オノ・ヨーコ→ジョン・レノン→リシケーシこの連想はちょっと出来すぎのようですが…)という方で、おおよそ20代後半に見受けました。
小野さんはここに来る前に中近東や北インドを一人で回ってきたということでした。情報がたくさん得られる今日と違い、今から三十年以上も前に女性一人で中近東や北インドを回りリシケーシに来るなんて、凄い女性がいるものです。長い旅のせいでしょうか、化粧っけのない顔は真っ黒に日焼けしていました。
小野さんをOさんの部屋に連れて行ったら、森さんが来ていました。森さんがOさんの部屋に来るなんて、数日前まで考えられなかったことです。何か話をしたかったようでしたが、タイミング悪くわたしたちが入って来たので、森さんは話すきっかけをなくしてしまったようです。少し居てからわたしは部屋を出てしまいましたが、その後は女性同士でいろいろと話をしたのではないでしょうか。

9時半少し前に、井上先生がシャンカラーナンダさんの講義に行こうと誘いに来てくださいました。その途中、井上先生が話してくれたことによると、さっき森さんが来てOさんにいろんなことを霊視してもらい、そのときに、南にいる聖者(たぶん、ローナワラのアナン・ニケータンに居るヴィラジェシュヴァさんのこと?)には会わないほうが良いとOさんに言われたので、森さんは泣きながらOさんの部屋を出てきてしまったとのことです。
森さんはヴィラジェシュヴァさんのことが大好きなのです。それでおそらくOさんにヴィラジェシュヴァさんのもとでヨーガを学びたい、と言うようなことを相談したのではないでしょうか。それなのにOさんに、会わないほうが良いと言われたのでショックだったのでしょう。
森さんからそう聞かされた井上先生もさぞ困ったことでしょう。そのときの悲しげな井上先生の顔が眼に浮かびます。
決して森さんが悪い訳ではないのでしょうが、森さんを中心にいろいろなことが起ります。

今日のシャンカラーナンダさんの講義は、グルやマントラの話なのでとても面白いものでした。しかし、わたしたちがシャンカラーナンダさんの部屋に入ろうとしたとき、いきなりOさんが泣きながら部屋から出てきたのでびっくりしました。なんでも、スヴァーミージーの部屋で瞑想していると「オーム」の字が見えてきたり、インドの神の彫刻のあるドアが閉まっている場面が見え、自分もここまで来たのかと思ったら嬉しくて涙が出てきたと言うのです。

わたしたちがシャンカラーナンダさんの話を聞いているときでした。講義中にもかかわらず、カナダ人の青年が入ってきて、突然シャンカラーナンダさんにイニシエーションを授けてくれと言い出しました。クリスマスなので、記念にとでも思ったのでしょうか。
わたしたちは仕方なくその成り行きを見守るしかありませんでした。
シャンカラーナンダさんはその青年にイニシエーションとはどういうものかということを話しました。もっと普段から修行をしなければならないこと、イニシエーションは弟子が決めるのではなくグルが決めるということなど。
シャンカラーナンダさんにイニシエーションを拒絶されると、この青年はひどい悪態をつき、捨て台詞を吐きながら、部屋を出て行ってしまいました。なんとも嫌な雰囲気が残りました。
この青年のために、Oさんにとっては貴重な時間(30分くらいだったでしょうか)をつぶされたかも知れませんが、正直、わたしには面白いというかとても勉強になったアクシデントでした。

今日のランチは豪華でした。いつものライス、チャパティ、サブジー、ダールに加え、インドのお煎餅パパド、ワダという揚げ物、名前は分からないけれどとても甘いお菓子など。きっとクリスマスだからに違いありません。宗教の違いをのりこえて、アーシュラムでもクリスマスを祝うということに深く感じるものがありました。こういう特別な日やお祭りのときなどは、アーシュラムに滞在していない外部の人たちにも食事が振舞われます。広いダイニング・ホールも今日は満員です。
昼食後、小野さんやインド人家族とトンガに乗ってリシケーシの町へ。わたしは洗濯石鹸とジャムを買いました。一緒に行ったインド人家族の小さな子どもが悪戯でちっともじっとしておらず、ドブに落っこちて真っ黒になってしまいました。ちょっと可哀想だけれど、ざまー見ろ、です。
町から帰って井上先生とチャイを飲んでいたら、Oさんがサリーを着て来たので写真を撮ることに。
3時半、いつものようにシャンカラーナンダさんたちと裏山へ散歩、そして瞑想。

今日はクリスマス。8時から図書館でクリスマス・イベントが行なわれました。どこからこんなにも来たのかと思うくらい大勢の西欧人が集まりました。たしかアーシュラムに滞在している西欧人は10人程度のはずですが、目の前には100人を超える西欧人がいます。そのほとんどがデリーやカルカッタで散々見てきたような、ヒッピーみたいな身なりをしています。インドを放浪していた若い貧乏旅行者たちが、噂を聞いてやってきたのでしょうか。どう見てもまともなヨーガ修行者とはいえません。
図書館には大きなクリスマス・ツリーが立てられ、そこに飾られたイルミネーションがとてもきれいでした。クリスマス・イベントはお祈りから始まり、レコードで賛美歌がかけられ、その後はアーシュラムに滞在する白人たちが中心になってクリスマスソングが歌われました。「ジングル・ベル」「きよしこの夜」「諸人こぞりて」などわたしも知っている曲ばかりでした。
中でも、よくアーシュラムで顔をあわせるあご髭のフランス人がハーモニュームで弾いた「ムーン・リバー」は最高でした。わたしもつい口ずさんでしまいました。
こんな盛大なクリスマスがインドのヨーガ・アーシュラムで行なわれるなんて想像もしませんでした。やはりシヴァーナンダさんのどんな聖者でも敬うという想いに基づいているのでしょう。

井上先生は派手な雰囲気が好きではないということで、最初に少し顔を出しただけですぐに外へ出てしまいました。わたしも途中で失礼してしまったのですが、最後まで居たOさんに聞いたところ、クリスマスの宴も終わりに近い12時頃、日本人の名前を一人一人読み上げて、アーシュラムからケーキを一箱ずつくれたということです。Oさん以外他に日本人はだれも居なかったので、困ったOさんは、一箱をインド人家族に、もう一箱をアーシュラムの子どもたちに、もう一箱を事務所のシャンカールに、そしてもう一箱をわたしたちに日本人用にしたということでした。
他の外国人はケーキを少しずつ、アーシュラムにいる子供たちには小さなお菓子が配られたそうです。なぜ日本人にだけケーキを一人一箱ずつ用意してくれたのかはわかりません。シャンカラーナンダさんの心遣いなのか、森さんがアーシュラム内で盗難に会ったので気の毒に思ったからなのでしょうか…。

クリスマス独特の雰囲気のせいか、何となくセンチメンタルになってしまいました。今頃、日本のみんなは何をしているのか、、、少し淋しい気持ちにかられました。
家族は何をしているのでしょう。恒例のクリスマスケーキでも食べているのだろうか。
悪友たちは? 市ヶ谷塾のヨーガの仲間たちは? 町に飲みにでも出かけているのだろうか。もう忘年会は終わったのだろうか。

11月2日に日本を出て、今日は12月24日。早くも二ヶ月近く経ちました。この二ヶ月間、日本では経験できないようなことを見たり聞いたり、実体験することができました。比較的穏やかな生活をしていたわたしにとっては冒険といっても過言ではないインド滞在でした。
いつまで続くのだろう…。
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by preman9798 | 2011-02-08 11:04 | Comments(4)

『インドの叡智』学習会

昨日はUTLでの『インドの叡智』の学習会。
第3部 〈近代インドとヨーガ〉 の3回目の授業でした。
いつも参加してくれるNさんとKさんが欠席。
その代わり新しい人が3名来てくださいました。

第3部はグルについて。
グルとはどういうものかという話ははすでに講義しましたので、
今回からは聖者たちの生涯や思想を紹介です。
テキストでは6名の聖者たちの生涯を取り上げています。

まず一人目はラーマクリシュナの紹介です。
とてもおもしろい聖者です。愛弟子ヴィヴェーカーナンダとの出会いは、まるで小説を読んでいるようです。
次回(2月7日)はそのヴィヴェーカーナンダの生涯と思想を学びます。

3月7日でこの学習会も終わります。

4月からもう一度『インドの叡智』での学習会を開く予定でいます。
ヨーガやインドに関するいろいろな言葉や考えが混乱されている方は是非いらしてください。
ヨーガという広大な「森」の全体をみる授業です。
今、わたしたちが学んでいるヨーガの全体を体系的に学びます。


そういえば、八雲教室での『インドの叡智』学習会は次回(2月9日)で最終回となります。
八雲の学習会は月に一回の授業ということもあり、終わるのに2年くらいかかりました。
4月からはサティヤーナンダの講演録や『ヨーガ事典』を使っての勉強を考えています。






わたしの初めてのインド・25


盗難という嫌な事件が起ってしまいましたが、まだまだアーシュラムの生活は続きます。

●アーシュラムでの生活
12月22日。
いつもより早い4時半に起床。もちろん外は真っ暗です。今朝は少し寒いようです。自分の部屋で簡単なアーサナ。
井上先生は昨日の事件で疲れていたようなので、声を掛けないで一人でアーサナのクラスに。例によってアーサナは少しハードでした。
Oさんが、アーサナの前に唱えるマントラを録音していたら、テープレコーダーが珍しいのかアーサナの先生が録音したものを聞かせてみろと言い出しました。

アーサナの後は朝食。豆のスパイス煮。帰りにチャイをもらい、部屋でゆっくり飲むことに。
その後、お湯をもらいに昨日森さんが盗難にあった建物へ。まず、その建物内のシャワーを借りて頭や身体を洗い、帰りにバケツにもう一杯お湯をもらい、ズボン、靴下、下着を洗濯。
インドで売っている「SURF」という洗剤は強い薬品を使っているのか、一回洗濯するだけで手がガサガサに荒れてしまいます。それに、今朝は頭を洗ったせいでしょうか、少し寒気がします。

9時半からシャンカラーナンダさんの部屋で講義があるのですが、今日は井上先生がいるので、わたしがわざわざ通訳に行くこともないと思い、部屋で雑用をこなすことに。それに、森さんの盗難を見て少し心配になったので、リセプション・オフィスにパスポートやトラベラーズ・チェックや帰りの飛行機のチケットなどを預けに行きました。
その後は部屋で本を読んで過ごすことに。

11時の昼食。少し食べ過ぎてしまいました。シヴァーナンダ・アーシュラムに来てからよく食べること、自分でも驚くくらいです。いったい何をしに来たのだろうか。しっかりとヨーガを学ばなければと反省。
食後、森さんのことが心配だったので部屋に行ってみたら、ドアに「Don’t knock the door, I’m sleeping now」と書かれた紙が貼ってあったので、声を掛けないでおきました。きっと不貞寝でもしているのでしょう。

Oさん、井上先生、わたしの三人で日向ぼっこをしながら、ガンジス河のほとりで今日のシャンカラーナンダさんの講義のテープを聞くことに。
そのとき、森さんの話になって、Oさんは森さんはもっと素直に自分の気持ちを表さなくてはならないと言っていました。
それに対し、井上先生が一所懸命「彼女は、ほんとうはとても良い娘なんだけれど…」と弁護していた姿がとても井上先生らしいと思いました。
Oさんと森さんはどうも馬が合わないようです…。Oさんの断定的な物言いは、歳の若い森さんにとっては最も嫌うことなのでしょう。
そして、後でOさんが森さんの過去世を霊視するということになりました。

そんな森さんを誘ってアーシュラムの3時のティー・タイムに。3時半からのシャンカラーナンダさんとの裏山への散歩にも誘ったのですが、どうしても嫌だということでした。
森さんは、盗難事件から人が変わったようになってしまいました。その気持ちは分からなくもありません。きっと、自分でもどうして良いか分からないのだと思います。

3時半。Oさん、井上先生、わたしとシャンカラーナンダさんで裏山の森の中を歩き、今は乾季なので水のない河の跡で瞑想。
Oさんも井上先生もとても良い雰囲気だと言っていましたが、わたしはなぜか日本での生活での反省すべき点をいろいろと考えてしまいました。家庭のこと、両親や周りの人たちのこと、仕事のこと、人間関係のこと、これからどう生きていくべきかということ、などなど…。瞑想とはかけ離れているかも知れませんが、こんなに真剣に今までのことやこれからのことを考えたのも珍しいです。山の中でのスヴァーミーとの瞑想で、こんなことを考えるなんてなにか理由でもあるのだろうか…。

夜、Oさんの部屋でシャンカラーナンダさんの講義のテープを聞きながら勉強会。
日本茶や京都のお菓子をご馳走になりました。そこで、昼間言ったようにOさんが森さんの前世や魂の傾向を霊視することに。
実際にOさんの霊視(?)を見るのは初めてでしたが、意外とあっさりとしたものでした。テレビなどで観るような神懸り的な仕草も仰々しさもありません。何の道具も使いません。どんなことをするのだろうと想像を膨らませていた分、拍子抜けしてしまったくらいです。回りに人がいても気にならないようです。

Oさんの霊視した結果をここで詳しく書くことはできませんが、森さんはインドに来てから孤独な老人の霊に憑かれているということでした。普通、そういう霊を払うのは、「霊上げ」と言って、憑かれた本人が35日間マントラを唱え、行をしなくてはならないのだそうです。しかし、今の森さんに言ってもやらないだろうし、日にちもないので、明日、シャンカラーナンダさんの部屋でOさんが代わりに行なうということになりました。


●砂の上の聖者マストラム・ババ
12月23日。
5時に起床。寒い! 顔を洗うのもちょっと辛いくらいです。6時のアーサナは西欧人でバジャン・ホールがいっぱい。10人以上いたでしょうか。わたしは肩の筋を少し痛めてしまったので、アーサナによってはやりづらかった。クリスマスが近くなると、リシケーシは西欧人が増えるそうです。
アーサナの後は朝食、大好きなウプマを食べ、チャイは持ち帰って自分の部屋でゆっくりと飲むことに。
今日はシャンカラーナンダさんがクリスマスのための買い物をしに、デラドンという大きな町に行くため、9時半の講義が8時から9時までに変更に。わたしは手紙を書いていたので、8時には間に合わず、8時半頃になってしまいました。遅れて部屋に入ると、Oさんや井上先生が熱心にシャンカラーナンダさんの話を聴いていました。
9時にはスヴァーミージーが出かけるので、三人で裏山に行き、スヴァーミージーがわたしたちにくれたリンゴを食べながらテープを聴いて復習。

11時にシヴァシャンカラーナンダさん(日本語のできるスヴァーミージーです)と一緒に、みんなでガンジス河の対岸の砂浜に坐っている聖者に会いに行こうということになりました。
この聖者は、佐保田先生がインドに来たときダルシャンを受けた人として、先生が講演や書物の中で時々触れている人物です。わたしも直接お話を聞いたことがありますが、先生は「砂の上の聖者」と表現されていました。
ダルシャンとは「哲学、謁見」などの意味もありますが、ここでは、グルから弟子に神秘的な力を伝える手段として、あるいは入門の儀式として、グルが弟子の眼をじっと見つめることを指しています。佐保田先生がこの「砂の上の聖者」の弟子になったというわけではないと思いますが、リシケーシのガンジスの河原でダルシャンを受けたことは事実のようです。
10時半にみんなで待ち合わせることにしました。Oさんがシヴァシャンカラーナンダさんを迎えに行き、井上先生とわたしは一端部屋に戻ってから「マドラス・カフェ」で待ち合わせることにしました。シヴァシャンカラーナンダさんの知り合いのインド人も一緒です。森さんも誘ってあげようということになったのですが、Oさんが今の状態の森さんを聖者の前に連れて行くのは良くないと言うので、可哀想ですが森さんには声を掛けませんでした。

今はアーシュラムの前にラーム・ジューラー(シヴァーナンダ・ジューラー、ジューラーとは吊橋のことです)が架かっていて簡単に対岸に行くことができますが、当時はさらに上流に架かっているラクシュマン・ジューラーを渡るか、渡し舟で対岸に渡るしかありませんでした。今ではこの渡し舟は有料ですが、当時は無料でした。

対岸に着いてすぐ「ギーター・バヴァン」というお寺に。ここはクリシュナが祀ってあり、『バガヴァッド・ギーター』やクリシュナ神話の絵がたくさん飾れていて、きれいな寺院です。そしてこの寺院の経営なのでしょうか、入口のところには薬屋さんとサリーなどを売っている大きなお店があります。Oさんは夢中になってサリーを選んでいました。お客のインド人女性が言うにはコットンが良いと教えてくれました。コットンのサリーで45~60ルピー(1500~2000円)でした。井上先生も奥さんのお土産にと生地の淵に金の刺繍が施してあるサリーを買いました。
なんだかこのお店のコマーシャルのようになってしまいますが、この「ギーター・バヴァン」はインドには珍しいフィックスド・プライスで少しも値引きしてくれませんが、物が良いので安心して買えます。サリーのほかにもショールや毛布も売っているので、わたしもいまだにリシケーシで布地やショールなどのお土産を買うときはここで買うことにしています。

「ギーター・バヴァン」で買い物をしたわたしたちは、近くにあった大きなレストランに入り軽い食事を摂りました。わたしはチャイとヴェジタブル・フライド・ライスを食べ3ルピー弱でした。「チョーティ・ワーラー」というこのレストランは、お店の前にちょっと不気味な、化粧をした太った人がじっと動かないで坐っていることで有名なお店です。インドの人たちも、名物になっているこの太った人と写真を撮ったりしています。最近ではお店を拡張して、とても繁盛しているようです。
実はわたしも当時はアーシュラムの食事に飽きたときは、「チョーティ・ワーラー」「マドラス・カフェ」「ナーラーヤン」などのレストランで食べることがありました。「チョーティ・ワーラー」はこの中でも高級な方ですが、対岸に行ったときにはよくこのお店に入りました。

このお店で、砂の上の聖者マストラム・ババのお土産にと甘いお菓子を買いました。上流に向って静かな道を10分くらい歩くと、ガンジス河の河原に下りて、大きな石がゴロゴロしている砂の上をさらに歩きました。
途中、マストラム・ババが住んでいるという大きな岩をくりぬいた住居がありました。失礼だと思いましたがのぞいて見ると、中には家具らしいものは何もなく、ただ床や壁がきれいに磨かれたていました。そこからさらに歩くとやっと砂の上の聖者マストラム・ババにお会いすることができました。
髭と髪を伸ばしたその聖者はたいへん太っていました。まるでお相撲さんのようです。腰にドーティーという白い布を巻いただけで上半身は裸です。この聖者の周りにはお世話をするために絶えず信者さんがいます。このときも近くの村人なのでしょうか、歳をとった女性が二人そばに坐っていました。
マストラム・ババは英語ができません。井上先生が、シヴァシャンカラーナンダさんを通して、10年前にあなたがダルシャンをした佐保田という日本人を覚えているかと訊きました。しかし、顔を見なければ分からないと言うので、後日シヴァシャンカラーナンダさんが佐保田先生の写真を持ってもう一度訪ねることになりました。
マストラム・ババは、何も語ってくれません。ただ一緒に坐っているだけです。でも、眼がとても澄んでいたのが印象的でした。
最後に、マストラム・ババに写真を撮ってよいかと訊ねると、絶対にダメだと言うことでした。しかし、Oさんが隠し撮りをし、その写真は今もわたしの手元にあります。隠して撮ったせいか、残念ながら頭の上の部分が欠けてしまっていますが、たいへん貴重な写真になりました。
次にリシケーシを訪れたのは大分経ってからでしたので、マストラム・ババにはお会いすることはできませんでした。砂の上の聖者マストラム・ババも今ではきっとマハー・サマーディに入られたことでしょう。
Oさんは森さんの「霊上げ」というのをするために、早めにアーシュラムに戻りました。井上先生はもう少しそこら辺を散歩してから帰るとのことでした。

夕方、部屋でうたた寝をしていたらOさんが来て、「マドラス・カフェ」に誘われました。そして、部屋を出たところでちょうど森さんに会ったので、声を掛けてみました。最初、Oさんに少し反発的なようでしたが、三人でチャイを飲むことに。その後、井上先生も加わり、四人でしばらく「マドラス・カフェ」でおしゃべりを。今まででしたら、Oさんと森さんが一緒にチャイを飲むなんてなかったことです。わたしにはよく分かりませんが、Oさんが森さんのために行なった「霊上げ」というのが功を奏したのかも知れません。
とにかく、聖地リシケーシにまで来て同じ日本人同士がギクシャクするのは決して良いことではありません。
これで少しは穏やかになりそうです。
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by preman9798 | 2011-02-01 13:06 | Comments(7)