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長年学んできたヨーガと大好きなインドの話です


by preman9798
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近況報告

4日(木)は池袋での勉強会。『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』第1章の三回目。ヨーガを始める前のさまざまな条件を読みました。三回目なのに、まだアーサナに入れません。
アーサナに入ったら、実際に行いながら読み勧めていきたいと思います。


8日(月)のUTLでの『インドの叡智』の勉強会は、カルマ・ヨーガについて。カルマや輪廻転生を学びました。サティヤーナンダの講演録を読み、『転生の秘密』(たま出版)を紹介しました。

この『転生の秘密』は、30年くらい前に佐保田鶴治先生に紹介していただいた本ですが、ほんとうに面白く、今までにも大勢の生徒たちに勧めてきました。
次回は、バクティ・ヨーガを学びます。


10日(水)は八雲教室の月に一度の勉強会。もう『インドの叡智』の第3部に入り、残りもあと3、4回となりました。
今回は『インドの叡智』には出ていない、わたしの知っているインドの聖者や日本の先生方の話をしました。
そして、ラーマクリシュナの生涯。
次回は、ラーマクリシュナの最愛の弟子ヴィヴェーカーナンダを学びます。






わたしの初めてのインド・15

スリランカのパート・2です。スリランカは、インドのようなとげとげしさや厚かましさもなく、穏やかでとても良いところでした。ただ、その分あまり強い刺激もなかったというのも事実です。
現在はインドのタミル人との争いから、場所によっては危険なところもあるようですが、当時はまったく物騒な感じはしませんでした。


●ヒッカドワの海
11月25日。
昨夜は野宿を覚悟したのに、幸運にも馬に乗ったおまわりさんが現れ、おかげで海辺の小さなホテルに泊まることができました。しかし、良いことは続きません。朝からお腹の具合があまりよくありません。せっかくホテルの前は海なのに、泳ぎはあきらめ、海岸を散歩することに。
ここの海岸はネゴンボの砂浜と異なり、ほとんどが岩場です。水もきれいで、小さな熱帯魚がたくさん泳いでいました。
水辺から少し離れたところが草原のようになっていて、紫色の花が一面に咲いています。そして、そのお花畑の中を牛がのんびりと草を食べていたりして、ほんとうにのどかななんともいえない風景でした。この風景だけは今もはっきりと思い浮かべることができます。
しかし、良い気持ちで岩場に泳ぐ熱帯魚を見ながら歩いていると、いきなり人の糞が落ちていたりします。きっと、近くに住む人が夜遅くか朝早くかに、岩場に隠れてトイレをしたのでしょう。やがて満潮になると、それは波がさらって遥かかなたへ持って行ってくれるようです。こんなことはインドを旅行していればあまり驚かなくなりますが、ヒッカドワに関してはあまりにも回りの景色がきれいだったので、それを見たときにはやたらと腹が立ちました。用をたすときは、ちゃんと場所を考えて欲しいと思います。

午前中は海に入らないほうが良いと判断し、日本から持ってきた横溝正史の『八つ墓村』を読んでいました。別に『八つ墓村』を持ってきた特別な理由があるわけではありませんし、特に横溝正史のファンというわけでもありません。退屈したときに読もうと思って、何も考えずにリュックの中に入れたのだと思います。しかし、読んでみるととても面白く、午前中はずっとこれを読んでいました。しかし、小説というのは一回読んでしまうと、また何度も読もうとは思わなくなります。結局、この『八つ墓村』は、インドで出会った日本人の持っていた『オー・ヘンリー短編集』と交換することになります。

食事は部屋の外で摂るようになっています。ちょうど部屋の入口がベランダのようになっていて、それぞれの部屋の前に一台ずつテーブルが置いてあるのです。海を見ながら外でランチを摂るなんておしゃれのようですが、ハエが多すぎてゆっくりと食べることもできませんでした。食べ物にたかるくらいならばもう慣れて気になることはありませんが、手にも足にも顔にも何十匹もとまるので、くすぐったいのです。追い払っても、追い払ってもたかってきます。皮膚が露出しているところにはどこにでも群がってくるので、結局、食事の間中、片手は絶えずハエを追い払っていなければなりませんでした。

午後になり、お腹の調子も良くなったので、海に入ることにしました。もちろん水着などありませんので、普段は下着として使っているトランクスです。その点は、他に観光客がいるわけでもないので気になりません。子どもたちは素っ裸で泳いでいますが、さすがにそこまではできませんでした。柄パンで泳いだヒッカドワの海は暖かくとてもきれいでした。
同じヒッカドワでもここははずれのほうなのでしょうか、日本で見たパンフレットにあるようなビーチに寝そべる白人の女性たちの姿がなかったのが残念でした。
しかし、周りの人たちはみな素朴で親切な人たちばかりで、インドをくたくたになりながら歩いていたときとは異なり、ここで何もしないでボーっとして過ごしていると、心が穏やかになってくのが分かります。

11月26日。
朝のヨーガ。気持ち良いが、ハエが少し気になる。コンチネンタル・スタイルの朝食などといえば聞こえがよいが、いつものトースト、ジャム、オムレツ、コーヒー……。
朝飯後、ヒッカドワのお寺の観光に。日本の仏像を見慣れているわたしには、南方仏教の形式で造られた仏像は、正直言いましてはじめのうちは馴染むことができませんでした。村の人たちが熱心にお参りに訪れます。若い人たちも結構います。きっと、同じ仏教国でも、スリランカでは仏教やお寺が日本よりもずっと生活に密着しているのでしょう。
わたしを日本人と知ってかどうか分かりませんが、一人の子どもがなついてきて離れません。物欲しそうな顔をしてわたしの後をくっついてきます。しまいには竹で編んだ入れ物に入ったセイロン紅茶を持ってきて、プレゼントだと言うのです。
では、お金を払うと言っても受け取りません。何か欲しいものがあるのかと聞いてもなかなか答えません。しばらく経ってその子に、もうホテルに戻る時間になったと言うと、一転して今度はあれが欲しいこれが欲しいと言い出しました。
残念ながら、子どもに上げるようなものが手元にはなく、赤いボールペンを上げたのですが、あまり嬉しそうな顔をしません。仕方がないのでボールペンに加え、使い古しのタオルも上げたのですが、まだ不満のようです。かなり手ごわい子どもです。最後に、髭そり用に持っていた剃刀をあげると、ようやく帰って行きました。いったい、あの子は何だったのでしょう。

昼食後、「ビーチビュー・ホテル」をチェック・アウト。親切にしてもらったホテルのマネージャーにお礼を言い、コロンボへ。来たときとは異なり、ヒッカドワからコロンボまで鉄道を利用したのですが、やはり車内は満員で坐れませんでした。来るときはバスを間違えたりしたために、大分時間が掛かってしまいましたが、鉄道ならばコロンボまではわずか3時間程度です。
コロンボの駅に着くと、夜の8時発のポロンナロワ行きの3等の切符を買いました。ポロンナロワには翌朝に着く、夜行列車です。コロンボまでずっと坐れなかったので、できたらゆったりとした1等か2等の指定席か寝台席を取りたかったのですが、すべて売り切れで、結局は3等の指定席に。車内は蒸し暑く、木製の座席では横にもなれず、ずっと同じ姿勢で坐っていたのでとても疲れました。

11月27日。
夜行列車は、朝の4時ころにポロンナロワに着きました。朝が早すぎて何もできません。車内ではあまり寝られなかったので、誰もいない駅の待合室でしばらく寝ることにしました。7時頃に起きると、駅で荷物を預かってもらい、仏教遺跡の観光に。面白いことに貸し自転車屋さんがあったので、自転車で遺跡を回りました。日本のおしゃれで快適な自転車ではありません。サドルの位置がやたらと高く、ブレーキもあまり効きません。しかも、まっすぐ走っているつもりなのに、だんだん横の方にずれて行ってしまいます。それでも、暑い中を歩き回るよりはずっとましです。ここポロンナロワの遺跡は有名で、石でできた大きなお釈迦様の坐像・立像・涅槃像があります。スリランカの人たちも大勢観光に来ていました。
ポロンナロワで仏教遺跡を観た後、バスでキャンディに。またも満員バスで4時間半。バスの中ではずっと、暑いのを我慢し、お腹も減ったのも、喉が乾いたのも我慢しなくてはなりませんでした。

キャンディでは「コンストレーション」だったか「コンスティチューション」だったか、そのような名前のツーリスト・ホテルに泊まりました。大きくはありませんが、古くて落ち着いたイギリス風の建物でした。きっと、昔はイギリス人が住んでいたのではないでしょうか。マネージャーはおばあさんでした。古いわりには建物の中はとてもきれいで、広いバスルームの中には珍しく湯船がありました。それも、映画でしか観たことのない「猫脚」の湯船です。この日は久しぶりに湯船に浸かりました。やはり日本人です。湯船に浸かると疲れが取れるような気がします。これでビールでもあれば言うことありません。
寝る前に、ゆっくりとヨーガ。ほんとうに気持ち良い。

このホテルは「仏歯寺」の近くにあります。「仏歯寺」はキャンディの観光スポットの一つで、名前の通りお釈迦様の歯を祀ってあるということですが、いつでも見られるというわけではありません。お釈迦様の歯だなんてほんとうなのだろうかと思い、後に、実際にご覧になったという前田先生にお聞きしたら、人間の歯にしては大きすぎるというお話でした。
お寺は熱心な信者さんたちでいっぱいです。お年寄りばかりではなく、若い人もたくさんいます。みんな小さな花を持って訪れては、熱心にお祈りをしています。お寺の中は、スリランカの音楽なのでしょうか、タイのキックボクシングのときに流れてくるような音楽が聞こえています。
夜、キャンディ名物になっている「キャンディアン・ダンス」というのを観に行きました。観客はわたしと外国人の団体だけでした。ダンスなど、まったく興味がなかったのですが、民族衣装を着て足首に鈴をつけて激しく踊る「キャンディアン・ダンス」はたいへんすばらしいものでした。観終わったあと、夜食として中華料理を食べました。チョウメン(焼きそば)とフライドライス(炒飯)です。インドもスリランカもスパイス料理なので、時には日本的な味付けが恋しくなります。

11月28日。
10時にチェック・アウトを済ませ、バスでコロンボまで。キャンディからコロンボまでは3時間。ここでも、バスの運転手に日本からのツーリストだと言ったら、優先的に乗せてくれました。
コロンボでスパイスとセイロン・ティーを買って日本に送ろうと思ったのですが、インドと勝手が違い、様子が分かりません。どうしたら良いか困っていると、わたしに空港で会ったという人が近づいてきて(わたしには会った記憶がなかったのですが)、荷物の送り方を教えてくました。さらに、マドラス行きの飛行機のリコンファームまでしてくれました。
スリランカにも親切な人がいるものだと思ったら大間違い。思ったとおり、一転して、親切にしたのだからとお酒をおごらされ、息子が一ドル欲しがっているなどと言い出しました。
後日談になりますが、帰国後、家族の話によると、スリランカから送ったこのスパイスは羽田空港から電話が掛かってきて大騒ぎをしたということでした。送ったのは小さな木箱に入ったものが二つだったのですが、何を間違えたのか、家には大きな箱でスパイスが送られてきたと連絡があったそうで、弟がわざわざ大きな車を借りて羽田まで行ったとのことでした。それなのに実際は小さい箱が二つだけの上に、いろいろと書類まで書かされ、半日かかってしまったと弟に怒られてしまいました。

明日、スリランカを発ちインドに戻ります。スリランカでの最後の一泊は、またネゴンボで泊まることにしました。スリランカの最終日ということと、一度日本に電話を掛けたかったという理由で、ちょっと大きなホテルに泊まることにしました。「ドンズ・ビーチホテル」という、プールが付きの高級ホテルです。今まで泊まってきたホテルの中では最高のホテルだと思います。
一泊105セイロン・ルピー。しかし、夕方着いて、朝発つので、少しもったいなかったかなと後悔しました。ディナーは、プール・サイドでのバイキングです。なんと、バーもあります。映画のワンシーンのようです。こんなディナーはもう二度と経験できないでしょう。
セイロン風フィッシュ・カレーがとても美味しかったのですが、ご飯が丸くボソボソしていて美味しくありませんでした。お米はもともと暖かいところで生まれたものなのに、味に関してはどうも北でとれたお米のほうが美味しいようです。そういえば、日本でもどちらかというと、東北や北海道で獲れたお米のほうが美味しいといわれ、価格も他の生産地のものと比べると高価なのではないでしょうか。
日本に電話をしました。日本を発って初めてです。最初、コレクト・コールをお願いしたのですが、なぜかできないとのこと。しばらくぶりに家族の者たちと話をしました。インドから送った手紙や荷物はすべて届いているようでした。コレクト・コールではないので、要点だけを急いでしゃべらなくてはなりません。約3分間で110セイロン・ルピーも取られました。

久しぶりに、わたしがヨーガを担当していた「現代の寺子屋塾・市ヶ谷校」の仲間や生徒にハガキを書きました。みんな、わたしが帰るのを待ってくれているだろうか…。

●スリランカから再びマドラスへ
11月29日。
こんな立派なホテルでも、朝食はトースト、ジャム、バター、オムレツ、コーヒーなど、いつものメニュー。ホテルをチェック・アウトし、空港行きのバス停までタクシーで行ったのですが、空港行きはもうすでに出てしまったとのこと。次のバスまで大分時間があるので、空港の近くまで行くというバスに乗りました。
そのバス停から空港まで歩いていけるということでしたが、結構ありそうです。重たいリュックも背負っています。回りには空港らしき建物など見当たりません。なんで、いつもスムーズに行かないのでしょう。こんなときは、わたしがいったいどんな悪いことをしたのかと神様に文句を言いたくなります。

人に空港までの道を聞き、歩き始めると、一緒にバスを降りた二人連れの女の子が声を掛けてきました。二人とも、わたしよりも少し若いくらいでしょうか。インドでは女性のほうから知らない男性に声を掛けるなんて、絶対にありえません。たとえ、こちらから声を掛けたとしても、返事もせずに行ってしまうのがインドの女性です。というより、それがインドでの習慣なのです。
それが、スリランカでは、突然女の子の方からどこへ行くのかと訊ねてきたのです。空港までだと答えると、それをきっかけにいろいろと訊いてきます。今会ったばかりなのに、名前と住所を教えてくれと言い、自分のことを指差して「ユー・ライク・ミー?」とまで言い出します。びっくりして何も答えないでいると、今度は、家が近いので寄って行けというのです。もちろん、時間がないと言って断りました。インドやスリランカの女の子との初めての会話が、こんな内容になるなんて予想もしませんでした。
二人連れなのに、一人の子しかしゃべらないので、もう一人の子は友だちかと訊くと、「わたしの家のサーヴァント」だというのです。どう見ても、同じ年頃にしか見えません。そういえば、サーヴァントだと言われたほうの子は、おしゃべりな女の子にずっと日傘を差し掛けているのです。
ここにもわたしがはじめて知る世界がありました。同じ年頃の女の子同士が、主人とサーヴァントだなんて、とても複雑な気持ちになりました。

彼女たちと別れ、空港まで歩いていると、運良く「ツーリスト・カー」と書いてある車が通りかかり、わたしを見つけると空港まで乗せていってくれました。もちろん無料です。経験上、車を降りるときにチップでも要求されると思いましたが、何も言いませんでした。ありがとうございました。考えてみたら、空港行きのバスに乗りそびれたために、変な女の子と話はできたし、車で空港まで無料で連れてきてもらえたし、なにがどのようにラッキーなことに変わるのか分かりません。きっと、神様がわたしの愚痴を聞いてくださったのでしょう。

出国の手続きもスムーズに終わったので、免税店でウイスキー「ブラック&ホワイト」を仕入れました。スリランカは宝石が取れるので、免税店にはいろいろな種類の宝石が売られていました。トパーズ、サファイヤ、ガーネットなど1カラット、2~3ドルということでした。まったく宝石に興味も関心もない、上げる人もいない、そんなわたしでさえ、ちょっと見ただけで小さな傷があるのが分かります。店員は一所懸命売ろうとしていましたが、わたしは一つも買いませんでした。
インド入国も、いろいろと気構えていた割には拍子抜けするほどスムーズに進みました。マドラス空港からバスで市内へ。そこからリキシャで「ツーリスト・ホステル」へ行ったのですが、満員ということで、今度は世界規模の「ユース・ホステル」へ。日本にいるときは、会員でなくては利用できないというようなことを聞いていたのですが、別に会員でなくても泊まれるようです。しかし、別の理由でわたしは宿泊を断られそうになりました。最初に行った「ツーリスト・ホステル」を断られた後、タクシーで「ユース・ホステル」まで来たのですが、その運転者が悪い奴で、降りる段になって荷物は別料金だと言ってきたのです。疲れていたせいでしょうか、わたしはつい頭に来て、その運転者の胸倉をつかんで怒鳴ったのです。もちろん感情的な言葉を英語で言えるほど達者ではありません。日本語で怒鳴りつけました。わたしのあまりの剣幕に驚いたのか、訳のわからない日本語にたじろいだのか、運転手は悪態を付きながら行ってしまいました。
実はその一部始終を「ユース・ホステル」の職員が見ていたようなのです。それを知らないで、宿泊を申し出たわたしは、暴力を振るうような人は泊められないといわれてしまったのです。
わたしは、運転手にだまされそうになったこと、インド人は外国人をだまして平気なのか、あなたが日本でそういうことをされたらどう思うのかと、たどたどしい英語で説明し、ようやく誤解を晴らすことができました。
インドに戻ったばかりなのに、早速のトラブルです。また、インドとわたしとの小さな戦いが始まります。先が思いやられそうです。
「ユース・ホステル」はドミトリーなので、1ベッド5ルピーと格安でした。これに一人用の蚊帳を50パイサで借りるのです。
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by preman9798 | 2010-11-11 11:13 | Comments(0)