長年学んできたヨーガと大好きなインドの話です


by preman9798
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12月も下旬になり、今年のレッスンや勉強会も一つずつ終わっていきます。
昨日はヨーガ・サンガティ八雲教室と代々木UTLのレッスンが終わりました。
八雲は昔からの教室で、気心の知れた仲間たちとのヨーガ教室です。
ベテランの方も多くヨーガを教えている人たちもいます。

代々木UTLのほうは、ご縁があって一昨年からお手伝いさせていただくようになった、
若い人が多いヨーガ・スクールです。
UTLのおかげで、今年は『ヨーガ事典』を出すことができました。
来年、やはりUTLのお力を借りてまた新しい本を出版したいと思っていますが、
もう少し具体的になったらお知らせします。






わたしの初めてのインド・18

カイヴァリャダーマのパート・2です。ローナワラを出て、いよいよリシケーシに向います。


●ローナワラからリシケーシへ
12月10日。
いよいよ13日にはボンベイからデリーに行き、さらにリシケーシに行くのですが、実はデリーで、ある人を迎えてその人を連れてリシケーシに行かなくてはならないのです。
13日にしたのは、京都から来るOさんというその女性を15日にデリーで迎えなくてはならないからでした。Oさんは佐保田先生のお弟子さんで、一人でインドに来ることになっていました。女性の一人旅ということもあり、きっと佐保田先生から井上先生に面倒を見てくれるようにと連絡が行ったのだと思います。しかし、井上先生もカイヴァリャダーマの試験や何かがあるらしく、デリーまでは迎えに行けないということで、たまたまリシケーシに行く予定だったわたしが出迎えることになったのです。
わたしとはまったく面識もないので、どのような顔かたちの人なのか皆目分かりませんので、井上先生に年恰好など特徴をお聞きしました。Oさんの方もきっと、わたしの年恰好や特徴を佐保田先生から聞いているはずです。
井上先生や前田先生がおっしゃるには、そのOさんという女性は霊能力者で、佐保田先生もたいへん信頼されているということです。そういえば、佐保田先生が東京でお話をされたときに、女性の霊能力者のお話しをされたことがありました。そのときは名前を言われなかったのでわたしもそれ以上のことは覚えていないのですが、今回リシケーシにお連れしなくてはならないのはどうもその方のようです。
正直言って、一人旅に慣れていたので一緒にリシケーシに行くのは面倒くさいという気持ちもありましたが、お世話になっている井上先生や前田先生に頼まれては断れません。それに、どうせ近々わたしもリシケーシに行くことになっていましたし、霊能力を持っているという人にまったく関心が無かったと言えば嘘になります。

モーニングティーの薬草茶を飲み、少し休んでからアーサナ。
部屋にいるとどうしても寝てしまうので、近くにあるという観光地カルラ・テンプルに行ってみることにしました。カイヴァリャダーマを8時過ぎに出て、バス停に。しかし、カルラ・テンプル行きのバスは9時に出るとのこと。まだ30分以上もあるので、近くの食堂でプーリーとチャイの朝食。
バスは満員でした。土曜日のせいか制服のパンジャビーを着た女子学生たちの集団が乗っていて、大きな声でおしゃべりをしたり歌を歌ったり、とても騒々しくうるさかった。
バスはわずか30分ほどでカルラ・テンプルに着きました。以外に近くにあったのです。しかし、カルラ・テンプルは山の上にあるので、ここから歩かなくてはなりません。暑い中を長い階段を上って行きましたが、正直いってたいしたことはなく、どのような寺院だったか記憶もあいまいです。また長い階段を下りてきて、サトウキビ・ジュースを飲みました。
帰りのバスもあの女学生たちと一緒になりました。バスの本数が少ないので、どうしても同じになってしまうのでしょう。

12月11日。
朝、このカイヴァリャダーマにケーチャリー・ムドラーを実践している人がいるというので会いにいきました。
ケーチャリー・ムドラーには二通りの方法があります。一つは舌を裏返しにして上顎やさらに奥の軟口蓋にあてる方法。もう一つは、舌の裏の筋を切り、舌を長く伸ばしてそれを軟口蓋よりももっと奥の入れるという方法です。これによってアムリタの流れを絶ち、その結果、長生きができるというのです。
これから会う人は後者のケーチャリー・ムドラー、つまり舌の裏の筋を切る方法を行なっているというのです。
ケーチャリー・ムドラーに関しては、ハタ・ヨーガの教典を読んで知識としては知っていましたが、実際に行なっている人がいるなんて、正直言って信じられませんでした。
そのヨーギーは学生宿舎のあまりきれいとはいえない部屋に住んでいました。わたしはケーチャリー・ムドラーを見せてくださいとお願いすると、以外にもあっさりと了解してくれました。しかし、実際に見せてくれるまで数十分を要しました。

ヨーギー(名前は忘れてしまいました)は、小さな木箱の上に古ぼけた鏡を置きました。いよいよ始まるのかと、ドキドキしながらヨーギーの一挙手一投足を瞬きもせず見つめました。日本に帰ってしまったら、ケーチャリーを見るチャンスなど二度とありません。
ヨーギーはゆっくりとした動作で髭そり用の剃刀と水の入った容器を出しました。わたしはこの剃刀で舌を切っていくのかと思い、その痛さを想像しました。すると、彼は次に石鹸を取り出すと顔に塗り、鼻の下やあごに泡を立てはじめました。何かへんです。彼は、わたしが瞬きもしないで見つめているのに、なんと髭を剃り始めたのです。緊張の極みにいたわたしは、いっぺんに拍子抜けしてしまいました。
長い時間をかけて髭を剃り終わると、今度は小さなナイフを取り出しました。手製のようです。ヨーギーは舌を手で挟むと、ゆっくりと伸ばし始めました。筋肉の固まりだからでしょうか、犬の舌のように急に伸びたり引っ込んだりはしません。長く伸ばされた舌は、鼻の頭やアゴのところまで届きます。やがて舌を裏返しにすると、どこの筋だか分かりませんが、ナイフで少しずつ切り始めました。うっすらと血が滲んでいます。よだれもポタポタトと流れ落ちています。聞くところによると、19年間毎日少しずつ切っているということでした。毎日切らないと、元に戻ってしまうのでしょうか。
こうして長く伸ばした舌を軟口蓋のさらに奥にある穴に入れて、アムリタの流れを防ぎ、長寿を得るというのです。そのヨーギーのグルは、このケーチャリーのおかげで100歳を超えた今もベナレスに元気でいると言っていました。
そのヨーギーはケーチャリーのほかにも、胸に巻いた鎖をある呼吸法を使って切ることができると言って、ベッドの下からジャラジャラ鎖を引っ張り出しました。さすがに鎖切りまでは見ませんでしたが、ケーチャリーの一部始終をじっと見ていたわたしは少し気持ちが悪くなり、ヨーギーにていねいにお礼を言うと彼の部屋を退散しまた。この貴重なケーチャリー・ムドラーの写真は拙著『インドの叡智』の200ページに掲載してありますし、大きく伸ばした写真も数枚ありますので、機会がありましたらぜひ皆さんにもお見せしたいと思います。
部屋に戻ると、なんだか気分が悪くなり熱が出て下痢をしてしまいました。先ほど見たケーチャリーのせいではないのでしょうが、吐き気がして、寒くて寒くて震えが止まりません。やがて熱が出ました。立とうと思っても膝にまったく力が入りません。井上先生が毛布やお湯を持ってきてくださいましたが、その夜は身体中が痛くて眠れませんでした。

12月12日。
昨夜から気分が悪く、最悪。まだ熱も下がらない。足腰に力が入らない。明日はデリーに行かなくてはならないのに大丈夫だろうか、とても不安になりました。昨日、ケーチャリー・ムドラーなんか見なければよかった…。

12月13日。
昨日あれだけひどかったのに、今朝起きたら、だいぶ気分が良くなっていた。なんだろう。インドではこういう体験を何回かしました。突然、熱や下痢や吐き気がしたと思うと、二三日後にはぴたっと治るのです。
井上先生に、デリーで出迎えるOさんの特徴をもう一度確認し、カイヴァリャダーマを出ました。
井上先生や森さんも、後日、Oさんとリシケーシで合流することに。
ローナワラ駅10時40分発の電車でダーダルへ、ここで乗り換えてサンタクルツへ。もうこのくらいの乗り換えは、なんでもなくできるようになりました。そんな自分が少し嬉しくもあります。でもまだ体調が完全ではないので背負っているリュックが重く感じます。サンタクルツから空港へはタクシーを使いました。カイヴァリャダーマの質素な食事が続いていたので、空港のレストランで少し良いものを食べました。病み上がりだけれど、ビールも飲んでしまいました。そういえばずっと飲んでいなかったような気がします。リシケーシに行ったら聖地ですのでアルコール類は飲めません。今のうちです。乾杯!

デリー空港には夜の9時に着きました。ベルトコンベアーから出てきたバッグがどこかに引っかかったのか少し壊れていましたが、別に中身が取られたわけではないようです。空港から市内まではバスで行き、市内からオートリキシャでYMCAに。一ヶ月前、前田先生と別れてデリーに来て最初に泊まったのがYMCAでした。しかし、今回は満員ということで泊まることが出来ませんでした。結局、「シティ・ホテル」というホテルに泊まることに。コンノート・プレイスからは少し離れていますし、50ルピーと高かったのですが、何しろ病み上がりで少し疲れていたので、今日はまあまあのクラスのホテルでゆっくりと休むことに。

12月14日。
体調はほぼ完全に戻ったようです。朝、部屋でヨーガをやった後、ニューデリー駅の前に延びるメイン・バザールへ。ここは狭い路地がずっと続いていて、その両脇にお店が並んでいます。ありとあらゆるお店があります。安宿や安食堂もたくさんあり、ヒッピーのような白人がたむろしていました。とても面白そうなところです。メイン・バザールの入り口にフルーツ・ジュースを売っているお店があり、美味しそうなのでオレンジ・ジュースを飲みました。自分で注文をしたフルーツを目の前で、ミキサーでジュースにしてくれます。インドに来て1ヶ月、もはやコップの汚れやハエなどは気にならなくなっていました。
バザールの奥の方に「メトロポリス」という、このあたりでは比較的大きなレストランがありました。実は、ここからさらに奥に行くと、左側に「ラーマクリシュナ・ミッション」の支部があるのですが、残念ながらそのときはまだこんなところに支部があるとは知りませんでした。

Oさんが来るのは明日の夜です。それまで少しデリーで時間をつぶさなくてはなりません。コンノート・プレイスを散歩し、ツーリスト・オフィスでリシケーシ行きのバスのことを訪ねました。相変わらず感じが悪い係員の態度にはほんとうに腹が立ちます。
「ジャパン・インフォメーション・センター(J.I.C.)」に手紙を取りに行きました。日本からの手紙をデリーで受け取るときは、このJ.I.C.で受け取ることができます。コンノート・プレイスから少し離れた、回りを緑に囲まれた閑静な住宅地の中にあります。J.I.C.の建物の中に小さな郵便受けがあり、一つ一つの郵便受けにローマ字でA~Zと書かれています。成瀬ならば頭文字はNですので、Nのところを探します。うれしいことに日本から六通も手紙が届いていました。家から二通、他の四通はわたしがヨーガを担当している「現代の寺子屋塾・市ヶ谷塾」の生徒たちからでした。
以前にも書いたと思いますが、手紙をもらうのが一番嬉しいのです。今でこそ、インドのどんな田舎に行っても簡単に国際電話が掛けられますし、サイバー・カフェではパソコン・メールもやり取りできますが、当時は手紙が唯一の通信手段だったのです。
生徒の一人がくれた手紙の中にさまざまな情報が書かれていました。きっといろいろと調べてくれたのでしょう。わたしも夜、ホテルの部屋で四通の手紙を書きました。
こうしてインドで受け取った家族や生徒たちからの手紙は、わたしの宝物として今で大切に取ってあります。

12月15日。
散歩の途中、車でコーヒーを出しているお店があったので飲むことに。コーヒーは久しぶりです。すると、向こうから異様な人が二人歩いてきました。はじめ少数民族の人だと思ったのですが、派手なパンジャビーに、おかっぱ頭。仕草も女っぽく、口紅や濃いお化粧をしています。しかし、その顔はどう見ても男なのです。そのときは、インドにもオカマがいるのかとたいへん驚きました。
しかし、その後、インドには「ヒジュラ」と呼ばれる、女装をして歌ったり踊ったりして生活をする人たちがいて、独自の文化を持っているということを知りました。今思うと、わたしがデリーで見た女装の人たちは、きっと「ヒジュラ」だったのではないでしょうか。

夜9時ごろ、ホテルを出てOさんを出迎えるために空港に。しかし、すでに回りが暗くなっていて方向が分からなくなってしまいました。仕方がないのでコンノートにある「コーヒー・ハウス」というお店に入って、飲みたくもない高いコーヒーを飲んで空港行きのバス停を教えてもらうことに。しかし、行ってみると15分前に最終バスが出てしまったとのこと。自分のことならば明日に変更すればよいのですが、人を出迎えるのですから行かないわけにはいきません。結局オートリキシャで空港に。オートリキシャはタクシーと違ってドアがないので、走ると寒い夜風をまともに受けてしまいます。時間がないので、震えながら空港へと急ぎました。ようやく良くなった体調がまた悪くならなければよいのですが…。
Oさんの乗った飛行機は少し遅れはしましたが無事に着きました。わたしのほうも間一髪、間に合い、Oさんを出迎えることができました。
Oさんは、ローナワラで井上先生や前田先生からお聞きした特徴とは違って見えました。言葉だけでイメージするその人の特徴と言うのは当てになりません。しかし、中年の日本人女性は他に一人もいませんので思い切って声を掛けました。
簡単な挨拶をして、とりあえずはデリー市内へ。タクシーで35ルピー。Oさんは両替をしていないので、わたしが立て替えることに。さらに、50ルピーを貸してあげました。
明日、11時にルフトファンザ空港の事務所の前で待ち合わせることにして、それぞれのホテルに帰りました。
Oさんの印象は、50歳代という年齢にしてはとても若く、夜一人でインドに着いたからか、少し落ち着きがないように見えました。一見しただけでは、霊能力者という雰囲気は見受けられませんでした。と言っても、他に霊能力者など知りませんので、比べようがありませんが。

明後日は、Oさんをリシケーシまで連れて行かなくてはなりません。
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by preman9798 | 2010-12-23 09:20 | Comments(0)