長年学んできたヨーガと大好きなインドの話です


by preman9798
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勉強会の報告

4日、UTLスタジオで『インドの叡智』の第2部の勉強がスタートしました。
とても重要なところで、ヨーガの流派と教典を中心に学びます。
初回が終わったばかりで、まだまだ間に合いますので、ぜひいらしてください。
毎週月曜日・午後1時から2時20分までです。


7日から始まる隔週木曜日の池袋の勉強会では、『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』の第1章を学んでいきます。
前回で『インドの叡智』の学習が終わりましたが、最後の授業で大好きなシヴァーナンダさんの話ができたので、わたし自身は大満足です。
スタッフのOさんが、りっぱなプラディーピカーのテキストを作ってくださいました。
こちらはまだ始まっていませんので、ハタ・ヨーガに関心のある方はぜひご参加ください。


13日の毎月第二水曜日の八雲の勉強会は、『インドの叡智』の第3部からです。
ここも大変面白いところです。グルとはどういうものか。そして、インドの聖者たちの話。
テキストだけではなく、いくつかの資料を使って話を進めていきたいと思っています。


毎月第土曜日のY.L.S.の勉強会では、前前回より『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』の第3章のムドラーを学んでいます。これはとても難しいです。
また、教典には実際にはできないようなテクニックや誤解を受けるようなものも記載されています。
ハタ・ヨーガの一部とはいえ、ムドラーが一般的にあまり行われていないというのもうなずけます。
でも、だからこそ、一度は教典に目を通すことが大切だと思います。


遅れてしまいましたが、今日、リシケーシの川崎あき子さんのところに『ヨーガ事典』を送りました。EMSにしたのですが、ちゃんと届くでしょうか…。
ほんとうは川崎さんとスヴァーミージーが来日中にお渡ししたかったのですが、ほんの十日ばかりの違いで間に合いませんでした。



わたしの初めてのインド・12

ハリオーム! 成瀬です。
カルカッタはベナレスやブッダ・ガヤとは違った意味で刺激的な町でした。
カルカッタは現在ではコルカタと言いますが、わたしが最初にインドに行ったときはカルカッタと呼んでいましたので、この手記もカルカッタで統一したいと思います。


●カルカッタ
満員列車から開放され、カルカッタのハウラー駅に着いたのは朝でした。ハウラー駅はイギリス建築風の大きな駅です。カルカッタは、イギリス統治時代は首都だったということもあり、市内にはハハウラーの駅舎のようなイギリス建築風の建物がいくつも残っています。
寝不足でまだ少しボーっとしている頭で、ツーリスト・オフィスに行ったのですが、朝早すぎたのかまだ開いていませんでした。
列車の中では飲まず食わず状態だったせいか、気が付くと急にお腹がすきました。近くの立ち食いスタンドのようなところでトーストとゆで卵を食べていると、物乞いの子どもが弱々しい声で「バクシーシ」と言って側によってきました。聞こえない振りをしてゆで卵を食べていたら黄身のかけらが下に落ちてしまいました。すると、その子が慌てて床に屈みこみ、その小さな黄身のかけらを一生懸命につまもうとします。しかし、黄身はボソボソしていて、みんな指先から落ちてしまいます。インドに来てからずっと物乞いには何もあげたことはないのですが、あまりにもひどいので、50パイサをあげました。というより、早くどこかに行って欲しかったというのが正直な気持ちでした。誰でも、お腹のすかせた子どもにじっと見ていられたのでは、ゆっくりと食事などできません。

最初の予定では、カルカッタでは「サルベーション・アーミー」、つまりキリスト教の救世軍の宿泊施設を利用するつもりでいました。ドミトリー(大部屋でベッド単位で借りる)ならばとても安いからです。しかも、ここは貧乏旅行者が集まる場としても有名で、こういうところでは旅行者たちが情報交換をすることができます。
しかし、ガヤからの満員の夜行列車で疲れきってしまったので、予定を変更して少し良いホテルに泊まることにしました。「フェアローン・ホテル」という博物館の近くにある西洋風の小ぢんまりとしたホテルです。たしか、女主人は西洋人だったと思います。インドでは珍しく三食付で一泊100ルピーと、わたしにとってはちょっと高めでしたが、とても雰囲気のあるホテルでした。
しかも、このホテルの食事はとても美味しく、西洋人も大勢利用するせいか、夕食にはステーキを選ぶことも出来たと記憶しています。小さな庭にはテーブルが出ていて、庭先で食事を摂ることも出来るのです。
三食付というのは便利なようですが、旅行の形態によっては不便な場合もあります。三食付いていても、昼間は観光に出ているので昼食は外で食べることになり、結局は朝食と夕食しか食べませんでした。そうかと言って、昼食代を返してくれるはずもありません。


●カルカッタのリキシャ
今まで、デリーやベナレスで乗ったリキシャは、自転車で引っ張る「サイクル・リキシャ」やエンジンの付いた「オート・リキシャ」でしたが、カルカッタのリキシャは日本の「人力車」と同じ、人が歩いて引っ張るのです。
インドのリキシャは、明治時代に当時の日本の交通手段であった人力車がインドに伝わったと聞いています。日本では、京都や浅草などの観光地以外はとっくの昔になくなってしまった乗り物が、インドには現役バリバリで残っていたのです。ただ、今日ではカルカッタ市内の交通渋滞の原因になるとかで、リキシャの走れる範囲が限られているといいます。
日本から伝わったリキシャではありますが、どうもその性能や作りには開きがあるように見えます。インドのリキシャは、日本の人力車のように軽快そうには見えず、頑丈な作りになっていて相当重量もありそうです。その重たそうなリキシャにわたしのような重い荷物を持ったお客が乗るのですから、それを引くリキシャ・ワーラー(リキシャを引くおじさん)は重労働だと思います。重労働を課してしまうのはわたしのような荷物を持った旅行者だけではありません。インドの人たちもリキシャのあの狭い座席に、三人も四人も乗れるだけ乗っています。ときにはそれを年老いて痩せたおじいさんが引っ張るのですから、見ていてかわいそうになることがあります。
それでなくても、スモッグやら排気ガスで空気が汚いカルカッタ市内を歩くのですから、きっとリキシャ・ワーラーたちは長生きなんかできないのではないでしょうか。

カルカッタのあるリキシャ・ワーラー一家の話が、ドミニク・ラピエールの大ベストセラー『歓喜の街 カルカッタ』(長谷泰訳・河出文庫)の中に詳しく書かれています。カルカッタのスラム街での生活や人間模様がくわしく描かれている、とても面白い本です。興味のある方はぜひお読みになってください。

●カルカッタ
カルカッタに住んでいる人に叱られてしまいそうですが、カルカッタは「宇宙一、汚いところ」という話を何かの本で読んだことがあります。
宇宙で一番かどうかは別にしても、実際のカルカッタは噂どおりとても汚く、裏道などを歩いているとそれだけで喉が痛くなってしまいます。どこの街角もちょっとしたゴミの山になっていて、そのゴミの山の中を裸足の子どもたちが何かを探したり拾い集めたりしています。きっと、少しでもお金になるようなものを見つけているのでしょう。
オールド・デリーやベナレスも騒然とした町でしたが、カルカッタのそれはまた少し違っていました。

あまりの汚さに観光に行く気も失せ、近くの博物館に行くことにしたのですが、それが大正解でした。とても大きな博物館ですが、入場料は30パイサ。10円です。ここにはインド紙幣の肖像にもなった、あの有名な「アショーカ王の石柱」があります。大きな博物館には膨大な数の展示物が飾られ、古い仏像もたくさん展示してあります。ボンベイの「プリンス・オブ・ウェールズ博物館」やデリーの「国立博物館」よりも大規模で、とても面白い博物館でした。ゆっくりと観て回ったら、おそらくそれだけで数日間必要となるでしょう。

インドでは、歩いているだけですぐに喉が乾いてしまいます。町で飲んだパイン・ジュースがとても美味しかったのを覚えています。ボンベイで飲んだサトウキビ・ジュースに匹敵する美味しさでした。インドにはどこの町でも屋台のジュース屋さんがあります。ちょっと衛生的にどうかと思うお店もあり、今はインドに行ってもほとんど飲まなくなってしまいましたが、まだペット・ボトルの水を売っていなかった当時は平気でジュースを飲んでいました。

夕方、ビールが飲みたくなり酒屋に行ったのですが、閉まっていたのでリキシャでお酒を売っているところに連れて行ってもらうことに。リキシャのおじさんは狭くて暗い道をドンドン進み、やがてある民家の前で止まると外階段を上がって行きました。どう見ても酒屋なんかありそうに見えません。汚い普通の民家です。
すると、二階の部屋から男の人が出てきて、最初にリキシャのおじさんから聞いていた値段とは違う、べらぼうに高い値段を言ってきました。わたしは腹が立ったので、そのままその家を出て来てしまいました。腹が立ったのも事実ですが、ほんとうは怪しげな家で怪しげな男からビールを買うことが恐くなったのです。
あの家は一体何だったのか、未だに分かりません。単に、リキシャのおじさんの知り合いの家だったのでしょうか。
結局、「オベロイ・グランド・ホテル」という高級ホテルのバーでビールを飲むことにしました。ビール二本にナッツ類のようなものが付いて25ルピーでした。最初からここに来ればよかったのに、酒屋で買えば少しでも安上がりだと思ったのが裏目に出てしまいました。

わたしがカルカッタで泊まった「フェアローン・ホテル」は決して安宿ではないのですが、それでもホテルを一歩出ると、リキシャのおじさんや怪しげな男が、「ハッシッシ」とか「ジキジギ」と小さい声で言い寄ってきます。ジキジギという言葉が何語なのか、どういう意味なのか今も分からないのですが、「ジギジギ、スクール・ガール、チャイニーズ」と言っていたところをみると、そういう仕事をする女性のことのようです。つまり、リキシャのおじさんはわたしに「兄さん、女はどうだい」と聞いてきたのです。あからさまにこういう類の声を掛けられたのは、このインド旅行ではカルカッタだけでした。

後に前田先生にお聞きしたところ、やはりカルカッタは気持ちが荒んだ人が多く、インドでも特別にひどいところということでした。たしかに、町はゴミの山、物乞いも多く、空はスモッグや排気ガスでどんよりしています。前田先生がおっしゃるには、カルカッタで胸の病気を患ったら治らないということでした。

話は変わりますが、お恥ずかしいことに当時のわたしはマザー・テレサという人のことをまったく知りませんでした。ずっと後になって、マザー・テレサがあの地獄のようなカルカッタで、あのような活動をされているのを知って、驚いたと同時にたいへん感動を受けました。カルカッタのあのような環境の中で、街角に置き去りにされた病人や老人、あるいは捨てられた人たちに対してどうしてあんなに優しくなれるのでしょうか。ほんとうに聖女としか言いようがありません。
マザー・テレサと比べること自体失礼な話かもしれませんが、わたしなんかカルカッタと耳にするだけで嫌な思い出と文句しかないのに…。


●カルカッタでの出来事
11月17日。
朝早く起きてヨーガ。難しいアーサナをするわけではありません。身心をほぐすような簡単なアーサナばかりです。いつか、具体的にどのようなアーサナやプラーナーヤーマをしていたのかをお話したいと思います。
ホテルでトーストやオレンジ・ジュースやオムレツの朝食を済ませると、観光名所でもあるマイダン公園やビクトリア記念堂に行ってみることに。カルカッタの街中はどこも汚いのに、ここはとてもきれいでした。
ただ、町や公園にはねずみがたくさんいるのには閉口しました。ねずみが嫌いな人は悲鳴を上げてしまうでしょう。しかし、この日の午後はねずみよりももっと不愉快な経験をすることになります。

珍しいホワイト・タイガーがいるという動物園に行くことにしたのですが、その途中、自称イギリス人の船乗りという人が声をかけてきました。わたしたちは一緒に動物園に行き、写真を撮ったり雑談をしたりで数時間を過ごしたのですが、別れ際に彼が自分の船に遊びに来いと誘ってくれました。船内には食べ物もたくさんあるし、ビールもウイスキーもあるからと。そして、そのときに必ず返すので、50ルピー貸してくれと言うのです。わたしはそのイギリス人を信用してしまい、つい言われるままに50ルピーを貸してしまいました。正直、頭の中に食べ物やビールやウイスキーがちらついていたことは否定できません。どうしてこうも飲み物や食べ物に弱いのでしょう。船の名前を聞き、4時に再会する約束をすると、わたしたちは別れました。

その後、わたしは「ニュー・マーケット」という日常品を売るお店がたくさん集まっているところに行き、皮のサンダルを買いました。皮のサンダルがとてもカッコよく見えたのです。マーケットの中を歩いていると、三人も四人も後から付いてきて何か説明をします。うっかり返事をしたり話をしたりすると、後でガイド料金などといってお金をせびられます。わたしにももう、そのくらいの智恵は付いています。そう簡単にはだまされません。
ちなみにせっかく買った皮のサンダルですが、サンダルの皮が硬いのか、わたしの足がやわなのか、履いて歩いてみたところすぐに皮がむけてしまい、結局しばらくは履くことができませんでした。
国内線「インディアン・エア・ラインズ」のオフィスに行き、明日の3時45分発マドラス行きの切符を買いました。

カルカッタに来たからには絶対に訪れてみたかったのがラーマクリシュナ・ミッションの総本山、ベルール・マット寺院です。ここは市外にあるため、行くまでに思った以上に時間が掛かってしまいました。ベルール・マット寺院には3時頃着いたのですが、中に入れる時間は3時30分までということです。入口に看板があって、たしかにその看板には見学できる時間帯が書いてあります。寺院を参拝するのに時間制限があるなんて、まったく知りませんでした。
わたしはちょっと迷いました。まだ30分あるのですが、見学をしてしまうと4時に会う約束したイギリス人に会えなくなってしまいます。貸した50ルピーも返してもらわなくてはなりません。
わたしは迷った挙句、ベルール・マット寺院には明日ゆっくりと見学に来ることにして、とにかく港に行くことに。急いでいたので港まで35ルピーも払ってタクシーを奮発。
港に着くと、そこは港で働く大勢の人たちでごった返していました。ものすごい数の労働者と船です。
わたしは彼から教えられた名前の船を探しましたが、そんな船はどこにも見当たりません。人に聞いても誰も知らないということです。わたしはいろいろな人に訊ねながら、港のあちこちを数十分も探しました。しかし、そんな船はどこにもありません。
そして、ようやく気が付きました「…やられた……」。
今思えば、着ているものも汚れていたし、顔の貧相なイギリス人でした。ほんとうのところ、イギリス人かどうかも分かりません。それに、初対面の人にお金を借りるなんてへんです。なぜ見抜けなかったのだろう…。冷静に考えてみれば、インチキ臭いことばかりです。高度な詐欺でも何でもありません。わたしがビールやウイスキーや食べ物に目がくらんだために、こうなっただけのことです。わたしがバカだったのです。インド人にばかり注意していて、イギリス人にだまされるとは…
貸した50ルピーはもちろん、ベルール・マットの往復のタクシー代もパアです。たいへんな額の授業料です。わたしは港でしばらく呆然としてしまいました。

なんとか気持ちを切り替えて、リキシャを拾いホテルに帰ろうとしたのですが、リキシャのおじさんは英語がまったく通じず、「フェアローン・ホテル」と言ってもきょとんとした顔をしています。何回もホテルの名前を言うと、通じたのかどうか分かりませんが、乗れといわんばかりにあごでリキシャのシートを指しました。ほんとうに分かったのかどうか、おじさんの態度に不安がよぎりましたが、ぐずぐずしていると暗くなってきそうです。港からホテルまでどのくらい距離があるのかも分かりません。ここはおじさんに任せるしかありません。
しばらく走ると、おじさんはリキシャを止め、にんまりしてわたしの顔をみてここだと言っています。しかし、ここは「フェアローン・ホテル」なんかではありません。すでに外は薄暗くなってきています。そして、回りを見てわたしは驚きました。道の両側に並んでいるのは、何と言ったら良いのでしょうか、適切な言葉が見つかりませんが、いわゆる「売春宿」だったのです。同じような作りの家が道の両側に何十軒も並んでいます。
明かりが灯った、家具も何もない部屋に、きっとお客を待っているのでしょうか、女の子がずらっと並んで坐っています。その女の子たちを見てさらに驚きました。みんな子どもなのです。どうみても十代にしか見えません。中には小学生か中学生くらいの子もいます。その子どもの顔にはちゃんとお化粧もされています。わたしは恐ろしくなり身体が震えてきました。
お客だと思ったのか、女の子たちはわたしに声をかけてきます。何を言っているのか分かりませんが、想像はつきます。笑いながら話しかけてくる子もいます。なにか冗談を言っているのかも知れません。
わたしは怖くなり、慌ててリキシャのおじさんを睨むと強い調子で「ノー! フェアローン・ホテル! フェアローン・ホテル!」と繰り返しました。おじさんはわたしの激しい物言いに怪訝な顔をしましたが、再びわたしをリキシャに乗せると歩き始めました。
わたしは恐怖とパニックとで、しばらく身体の震えが止まりませんでした。30年経った今でも、あの恐ろしい光景は頭の中にはっきりと残り、消えてくれません。

カルカッタには大きな港があり、大勢の男の人が働いています。娯楽の少ない海の上の生活を長く送らなくてはならない船乗りさんもいることでしょう。あそこはそういう人たちが遊ぶところだったのではないでしょうか。
インドでは貧しい家庭に生まれた子どもたちは、ろくに学校にも行かせてもらえないと聞いたことがあります。男の子ならば幼いころから出稼ぎに出され、そのわずかな給料は雇い主と親への仕送りとでほとんどなくなってしまうといいます。実際、インドを旅行していると、小学生くらいの子どもが昼間学校へも行かず働いている姿を度々目にします。よく見ると、大人よりよく働いています。
しかし、インドでは女の子の働き口などほとんどありません。結局、こういうところに売られてしまうのでしょう。そういうことをしなくてはならない親も辛いと思いますが、親と子が生きていくためには仕方がないということなのでしょうか。もちろん、貧しいインド人のすべてが同じような道を行くわけではありませんが…。
また、こんなところに売られないまでも、小さな子どもが環境の悪いじゅうたん工場やアクセサリー製造工場で、安い給料で朝から晩まで一日中働かされているというドキュメンタリーをテレビで見たこともあります。たしかその番組では、じゅうたんなどを買う人がいるから、子供たちをこき使う悪徳業者がなくならないのだと言っていたように思います。しかし、一方で、そういう工場や悪徳業者がいなければ、子どもたちは明日から生きていけなくなってしまうということも事実です。
最近のわたしのインド旅行は歳とともに質も変わり、あまりそういう辛いことに接することがなくなってきましたが、最初のこのインド旅行では実に多くのことを見たり聞いたり、体験したりしました。

ようやくホテルに着いたときにはすっかり暗くなっていました。いろんなことを経験した一日でした。とても疲れた一日でした…。


11月18日。
朝早くチェック・アウトして、昨日見そこなったベルール・マット寺院へ。ここがラーマクリシュナ・ミッションの総本山です。ここのブランチが世界中にあります。途中まではカルカッタ市内のゴミの中を走りますが、ベルール・マット寺院はカルカッタにあるとは思えないほど、清潔できれいです。独特な形をしたメイン・テンプルがあり、わたしの大好きなヴィヴェーカーナンダのお墓もありました。売店では本や写真を売っていて、わたしはラーマクリシュナやヴィヴェーカーナンダの本と写真を20枚ほど買いました。
この寺院の中はなぜか写真撮影は禁止されているのですが、寺院の人に注意されるまでにすでに数枚撮ってしまっていました。
ニュー・デリー駅前のメイン・バザール(パハール・ガンジ)の奥の左手にブランチがあり、そこも同じようにきれいで静かな雰囲気です。1983年にインドに行ったとき、デリーのブランチでちょうどヴィヴェーカーナンダの「シカゴの宗教者会議出席100年記念」のパネル展示をやっていて、思いがけずにヴィヴェーカーナンダの数々の写真を観、そのうえ写真集を買う機会にめぐまれ、とても感激しました。

次に、ここも観光スポットになっているジャイナ教の寺院に。寺院の天井にも壁にも細かい宝石の飾りが施され、とてもきれいでした。ヒンドゥー教寺院とは違うことが一目で分かります。
ジャイナ教は仏教と同年代に起った古い宗教です。年代だけではなく、活躍した地域も仏教とほぼ同じ北インドです。開祖はマハーヴィーラ(あるいは、ジナ=勝利)、戒律の厳しいことで有名な宗教です。特にアヒンサー(不殺生)が厳格なため、在家信者も農業にはつけません。その結果、商売をしたり、ビジネスマンになったりする人が多く、インドの中では比較的裕福な人が多いようです。しかも、宗教に熱心なので遊びや無駄なことにお金を遣わず、その分をすべて宗教的なことやジャイナ教寺院に寄付したりするようです。
わたしがインドに来る前に、Nさんが照会してくれたインド人のアショク・K・ジェインさんもジャイナ教の宝石商でした。

そして、3時30分発マドラス行きの飛行機に乗るためにカルカッタ空港へ。
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by preman9798 | 2010-10-05 12:45 | Comments(0)