長年学んできたヨーガと大好きなインドの話です


by preman9798
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『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』

水曜日はヨーガ・サンガィ八雲教室です。
今日はいつもの「八雲住区センター」とは異なり、「大岡山住区センター」。
ここも広い和室があり、快適な環境です。
八雲教室は30年以上のベテランから、まだヨーガを学び始めてほんの2、3年程の若い生徒まで、いろいろですが、皆さんとても仲の良いクラスです。

夜は代々木UTLでヨーガ・クラス。受付には先日出たばかりの『ヨーガ事典』の見本が飾られていますが、まだ入荷されていないようで、UTLでは買えないようです。アマゾンや楽天などのネットからの購入のようです。
ちょうどクラスが終わったころ、池袋の勉強会の世話役をしてくれているOさんが、テキストを持ってきてくださいました。
10月から始まる『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』の第1章です。きちんと表紙がつけられた、126ページにもわたるとても立派なものです。
9月30日で『インドの叡智』の学習が終わりますので、10月からはこの『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』を使っての講義となります。





わたしの初めてのインド・11

ハリオーム! 成瀬です。
今回はブッダ・ガヤからカルカッタ(現在はコルカタといいます)に向ったときのことです。


●ブッダ・ガヤからカルカッタへ
11月14日。
ラージギルやナーランダに行くつもりでしたが、お腹の調子が悪くなり取り止めに。せっかくのチャンスでしたが、遠出をする自信がありません。油断したつもりはないのですが、インドにちょっと慣れたせいでしょうか、とうとう「洗礼」を受けてしまいました。
仕方がないので「チベッタン・テンプル」の何もない部屋でごろごろしたり、少し外に出たりして過ごしました。何かのお祭りなのでしょうか、お化粧をして着飾った象を象使いが先導して歩いています。そのあとを、ブラスバンドや村人が続いています。

11月15日。
昨夜、薬を飲んだせいか、朝起きたときにはお腹の調子も大分良くなっていました。アジャイがもっと滞在しろと言ってくれましたが、ブッダ・ガヤを出てカルカッタに行くことにしました。アジャイにはいろいろとお世話になったので、彼のお店でお数珠を買うことに。
そして、これから先も着替えが必要ですし、ヨーガをやるときにも便利だと思ったので、民族衣装のクルタとパジャマも買いました。クルタはシャツ、パジャマはステテコを少しゆったりさせたようなズボンです。夜寝るときに着るあのパジャマは、このインドの民族衣装のパジャマに由来しています。インドのパジャマは綿で出来ていてとても涼しそうです。
インドから日本に帰るとき、クルタとパジャマを何着か作り、しばらくの間これを着て教室などでヨーガをしていました。

一般にインドの既製服は、縫い目が雑でほつれてきて、数回洗っただけなのにすぐに着られなくなってしまうことがあります。クルタやパジャマ、あるいは女性のパンジャービー・スーツを買うときは、インドのどこの町にも必ずある布地屋さんで色や素材を選び、そのお店の前でミシンを踏んでいるテーラーのおじさんにオーダー・メイドしてもらいます。
パジャマの場合、ポケットを付けるかどうか、クルタだったら襟をスタンドカラーにするか丸首にするかなどを注文することができます。おじさんは、一応ウエストや胸回りをメジャーで測ってくれたりするのですが、仕上がってきたものは大きすぎたり小さすぎたりして、今までなかなかジャスト・サイズにはめぐり合ったためしがありません。
インドに来て以来、チャイの美味しさにずっと感激していたので、紅茶の葉も買うことにしました。
サーリーも買いました。もちろんわたしが着るわけではありません。いつかそれを上げる人が現れるのを期待してのことです。真っ赤なシルク地に金の刺繍が施してあり、観ているだけでもとてもきれいです。残念ながら、そのサーリーは未だにわたしのタンスの肥やしになったままでいますが…。
その他、お線香もいくつか買いました。お線香は日本のものとは異なり、とても良い香りがします。少し香りが強いので、好き嫌いがあるかも知れませんが、比較的喜ばれるお土産のような気がします。

これらのお土産は荷物になるので、日本に送ることにしました。幸い、アジャイの友だちのアビナスという青年の家がブッダ・ガヤの郵便局なので、すべて手続きをしてくれました。
手紙やハガキを含め、その後インドの各地から何回も本やお香やら衣服やらの荷物を日本に送りましたが、すべて無事に届いていました。また、日本からの手紙もほとんど受け取ることができました。インドに行く前は郵便事情が良くないと聞いていたのですが、わたしの場合、幸運にも郵便物や荷物に関してはなんのトラブルにも遭ったことがありません。もちろん、ブッダ・ガヤから送ったこれらお土産もきちんと届いていました。

ブッダ・ガヤも今日が最後なので、アジャイやアビナスと映画を観に行くことに。インドの町にはどこにも映画館がありますが、実際に中に入って観るのはこれが初めてです。
古い映画館のせいか、お客で満員の館内はあまりきれいとはいえません。というより、映画が始まっているわけでもないのに、明かりをつけてくれず、暗いままなのです。
館内は男性と女性の席が別々なのには驚きました。注文すると、自分の席までチャイを持ってきてくれます。
肝心な映画は、甲高い声の女性の歌と踊りばかりでちっとも面白くありませんでした。インドの人たちはどこが面白いのか、ワーワー、キャーキャーと大騒ぎです。わたしには、映画よりも映画を観ている観客のほうがずっと面白く思えました。途中、主演の男女のキスシーンがシルエットで映されると、大騒ぎはピークに達しました。口笛を吹く人もいます。
ある友人が言うには、あれはインド人の憧れだと言うのです。現実の生活は厳しく、なかなか自由な恋愛も出来ないので映画で解消しているのだと。自分たちの恋愛を映画の主人公たちに投影しているのだと言うのです。なるほどと思いました。

最近はインドの映画を観ていないので分かりませんが、当時はまだきわどいシーンや、女性があまり肌を露出するシーンはタブーで、せいぜいシルエットのキスシーンが限度だったようです。あるいは、思わせぶりに主人公の恋人同士が顔を近づけるところで画面が変わったりします。
当時のインドの人たちが、今の日本のテレビコマーシャルなんか観たら、きっと卒倒してしまうのではないでしょうか。
数年前、仲良くなったインド人ガイドさんが言っていました「初めて日本に行ったとき、若い女性が短いスカートで脚を出しているので、ついじっと見てしまいました。インドでは考えられません。痴漢に間違われそうになってしまいました」と。
とにかく、わたしにとって初めてのインド映画はつまらなく、お客さんを観ていたほうがずっと面白かったというのが正直な感想です。

今日中にブッダ・ガヤを出てカルカッタに行きたかったのですが、すでに寝台車は満席で、指定席も取ることができませんでした。アビナスは、実家でもある郵便局からあちこちに電話をして、指定席が取れないか聞いてくれたのですが、どうしても取れず、結局二等の自由席で行くことに。ベナレスからガヤに来るときにも、二等の自由席では辛い思いをしたので、ほんとうは寝台車に乗りたかったのですが、仕方がありません。
駅にはアジャイとアビナスが見送りに来てくれて、列車が来るまでホームで話をしたりトランプをしたりして時間をつぶしました。
ようやく来た列車は、車内が満員だからなのでしょうか、これ以上人が乗り込まないようにと乗客が内側から鍵をかけて入れてくれません。それをアビナスがものすごい形相で車内の乗客に文句を言っています。ヒンディー語なので何を言っているのか分かりませんが、まるで喧嘩のような様相です。しぶしぶ中にいた乗客が鍵を開け、わたしはようやく車内に入ることができました。最初からこの調子です。この先も嫌なことが起りそうな予感です。

予想通り、ガヤからカルカッタまでは、ベナレスからガヤまでとは比べものにならないほど辛い移動となりました。
車内は蒸し暑く、臭く、足の踏み場もないくらいに混んでいます。床であろうがなんだろうが、この際、直に坐わりこんで休むしかありません。たとえ座席に坐れたとしても、硬い木製ですので熟睡など出来るはずもありません。満員列車の通路に坐って寝ていると、夜トイレに行く人が通るたびに起されます。
あ~あ、何でインドまで来てこんなたいへんな目に会わなくてはならないのだろう…。
それにしても、今思い起こしてもなぜあんなに慌ててカルカッタに向う必要があったのか、分からないのです。ガヤで寝台車や指定席を取ってからでも良かったのに。
しかも、そんな思いをしてまで行ったカルカッタで、またいろいろな目に会うことになります。
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by preman9798 | 2010-09-23 08:38 | Comments(0)