長年学んできたヨーガと大好きなインドの話です


by preman9798
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池袋の勉強会

今日は、吉祥寺教室の後、池袋勉強会がありました。
昨年の11月から『インドの叡智』を学び始め、今日と次回の二回で終了となります。
そして、最後となる今日と次回はわたしの大好きなシヴァーナンダさんについてです。
どうも、シヴァーナンダさんの話となると感情がこみあげてきてしまい、時には涙さえ滲んでくることがあります。
しかし、池袋の勉強会、わたしの娘のような年代の若くて素敵なヨーギニーたちばかりです(もちろん、池袋だけではありません!)。
そなんなヨーギニーたちの前で涙ぐんでしまっては示しがつきませんし、格好悪いです。
でも今日は何とか無事に恥をかかなくて済んだようです。

次回で『インドの叡智』の学習は終わります。その後は懇親会です。

10月7日からは『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』第1章を学びます。
興味のある方は是非いらしてください。





わたしの初めてのインド・6

ハリオーム! 成瀬です。
少しインドに慣れたわたしは「アナン・ニケータン」を離れ、インドを回るために一旦ボンベイに戻りました。


●再びボンベイへ
11月5日、朝8時、ボンベイに用事があるという前田先生と一緒に「アナン・ニケータン」を出てローナワラに向かいました。途中、先生の知り合いのインド人と偶然出会い、わたしたちは昼ごはんをご馳走になりました。そのときに、「ありがとう」は、ヒンディー語で「ダンニャヴァード」、イスラームの人が話すウルドゥー語で「シュークリア」ということを教わりました。
わたしは得意になって新しく覚えたこの「ダンニャヴァード」を連発しましたが、インド人からこの言葉を聞いたことはほとんどありません。
お店で何か買い物をしても、何かを上げてもほとんどお礼の言葉は聞かれません。ときどき「タンキュー(thank youのことです)」と英語で言われることはありますが、残念ながら「ダンニャヴァード」や「シュークリア」は耳にすることはありませんでした。
ローナワラからボンベイまでの電車は、とても混んでいて蒸し暑く、そのうえトイレが近くにあったせいかとても臭いのです。
同じ都会でも、内陸にあるデリーは木陰に入ると涼しいのですが、ボンベイは海辺にあるので日本の夏と似ていて、とても蒸し暑いのです。
しかも、そのころはまだインドでは冷房はそれほど普及しておらず、日本のように冷房の効いている建物やお店などでちょっと一休み、というわけにはいきません。

インドでは車両によっては網棚がとても大きいものがあり、本来は荷物を置くその網棚の上に人が上がって休むことができます。早い者勝ちですが、わたしも何回かこの特等席を確保したことがありました。ここを確保できるととても快適で、ちょっとした寝台席です。
そうかと思うと、三人掛けの座席にぎゅうぎゅう詰に四人も五人も坐っていたりします。電車の本数が少ないせいか、慢性的に混んでいるようです。その上、なぜかインドの人たちは移動するときはたくさんの荷物を持ち歩くようで、そうでなくても電車やバスの座席は小さめなのに、いつも窮屈な思いをします。

数日前に初めてインドに着いたときは、真夜中だったために分かりませんでしたが、ボンベイはとても大きく活気のあふれた賑やかな町でした。ものすごい人の数と騒音ですが、日本の都会的な賑やかさとは異なり、やたら生活観のある雑踏です。
竹で編んだ鳥かごのようなものをいくつも頭に乗せて運んでいる人がいます。タクシーのドライバーとリキシャのオヤジが大声で怒鳴り合っています。そのそばを、荷物を一杯に積んだ荷車を、裸足でゆっくりと引いて行く老人がいます。そんな騒音と排気ガスと埃の中で、平然と道端で果物を並べて売っている人がいます。

インド国内線の「インディアン・エアラインズ」のオフィスを訪ねましたが、職員は不親切なうえに動作は緩慢で、結局はボンベイ→デリーまでのチケットだけを買うことにしました。その後も、インドで感じの良いサービスを受けたという経験はほとんどありません。
お金がないのに飛行機を使うなど贅沢と思われるかも知れませんが、当時は27歳以下の人は国内線がとても安く利用できたのです。飛行機は、目的によっては電車よりもはるかに速く有効な乗り物だったのです。

●インドで最初に泊まった「ラブリー・ホテル」
とりあえずデリーまでの飛行機のチケットを買ったわたしは、町で夕食をとりました。あの有名なタージ・マハル・ホテルの近くの「アポロ・レストラン」という小さなレストランで食事をしました。ここは前田先生がよく利用されるようで、チキン・ブリアニという鶏肉やナッツのスパイス味の炊き込みご飯がとても美味しかったのを覚えています。
食事の後、先生とわたしはボンベイから電車に乗りサンタ・クルツという町に行きました。一時間弱でしょうか。そこで「ラブリー・ホテル」という、ちょっとへんな勘違いをされそうな妙な名前のホテルに泊まりました。
まず外国人観光客は泊まらないようなランクのホテルですが、「アナン・ニケータン」と比べたらお湯のシャワーが使えるだけでも天国です。前田先生、ごめんなさい。
その後、あちこちとインドを回っているうちに分かってきたことですが、インドではお湯が使えるかどうかでホテルの価値も料金も変わります。当時はまだまだお湯をつかうということは贅沢でした。
しかし、お湯が出るといっても、日本のように十分に使えるわけではありません。小さなヒーターで湧かすためか、使っているうちに水になってしまうことがよくありました。
貧乏旅行者がよく利用する駅前に集中しているような安宿では、シャワーはあってもお湯は出ません。シャワー室の中は薄暗く、下はぬるぬるしています。中には、シャワー付きだといっておきながら、実際は水道とバケツだけという安宿もありました。
ただ、インドは基本的に暑い国なので、日本人ほどお湯やお風呂ということに執着がないようです。彼らはお湯なんかよりもむしろ水を浴びたほうが気持ち良いと感じているのかもしれません。

インドのほとんどの建物がそうであるように、このホテルにも天井には扇風機が取り付けられています。そういえば、小さいころによく行った近所の銭湯にも、このような扇風機が付いていたのを思い出します。
暑くて寝苦しいからと、この扇風機を回したままで寝てしまうと、朝、喉が痛くなっていることがあるので気をつけてくださいと、前田先生に注意されました。

この町は空港の近くにあるため頭上に飛行機が飛ぶと、うるさくて話し声が聞こえないくらいです。また、後で知ったのですが、このサンタ・クルツという町にはシュリー・ヨーゲーンドラという人が「YOGA INSTITUTE」という小さなアーシュラムを開いています。リシケーシなどにあるアーシュラムのような雰囲気ではなく、町中にあるヨーガの研究所、学校、塾といったところでしょうか。「YOGA」という機関誌も出しています。
シュリー・ヨーゲーンドラさんの本は、日本では『ヨガ健康法の科学』(春秋社)というタイトルで売られています。なかなか興味深い本で、わたしもいろいろと参考にさせていただきました。

●インドの町の楽しい夜店
夕方になると、町には裸電球をぶら下げたいろいろな屋台が並び、大勢のインド人が買い物をしたり、屋台で軽食を食べたり、友人とおしゃべりをしたりします。ちょうど、昔の日本の「縁日」を思い出させる光景です。
このインド版「縁日」には、カレー味のジャガイモやシークカバブを鉄板で焼いて売っていたり、インド風天ぷらのパコラを揚げていたり、古本屋が出ていたり、いろいろな日常雑貨も売られています。
そして、これら屋台の合間に、おばあさんがたった5、6個の果物を小さな台の上で売っていたりします。日本では使い捨てのようなビーチ・サンダルを修理する店もあれば、女性の下着を並べているお店もあります。なんと、新聞紙の上に入れ歯を並べて売っている店もあります。これを買う人は一つひとつ口に入れて、サイズや入れ具合を試すのでしょうか…。
インドではどこに行っても、夕方になると、大勢の人で町は活気にあふれるのです。わたしはこのインド版「縁日」が大好きで、よく屋台で軽食をつまんだり、果物を買ったりしたものです。

当時のインドはテレビなどなかったので、インドの人はみんな夕方になると、このように町に出ては映画を観たり情報交換をしたりおしゃべりをして楽しんでいたのでしょう。インドではどんな田舎に行っても村に一つは必ず映画館があります。インドの映画制作数は相当なものだというのもうなずけます。町にはいたるところに映画のポスターが貼られ、ヒットした映画音楽が流れています。
インドの代表的な音楽といえば、伝統的なシタールやタブラなどを使った民俗音楽だと思われがちですが、実際にインドでよく耳にする音楽は圧倒的にこれら映画音楽なのです。そのくらい、インドの巷に、バスの中に、レストランの中に映画音楽が流れています。
日本でもテレビのなかった昔は、どんな町にも必ず二つ三つの映画館があり、チャンバラや洋画が盛んに上映されていました。
小学校の帰り、洋画のポスターに描かれている女優さんの大胆な水着の写真の前を通るときなどは、妙に気持ちが昂ったのを覚えています。

わたしはボンベイで初めてサトウキビ・ジュースというものを飲みました。50パイサ、日本円では15円くらいでしょうか。北インドに比べると、ボンベイを中心にした西インドではこのサトウキビ・ジュースが良く飲まれます。前田先生の話では肝臓にとても良いとのことでした。
サトウキビの茎を、昔の洗濯機の洗濯物を絞るローラーと同じような、二つのローラーの間に差し込み、圧縮してジュースを搾り出すのです。サトウキビの独特の甘さが美味しく、わたしは二杯も飲んでしまいました。しかし、その甘ったるい独特の臭いのせいでしょうか、ハエや蜂が真っ黒になるくらいにたかっています。肝臓に効く前にお腹を下しそうです。
良く見ると、今飲んでいるガラスのコップも、誰かの指紋や指の跡がべったりとついています。ギョッとしてお店のおじさんの顔を見たら、笑いながら「No problem」と言われてしまいました。
この後、旅行中に何回もこの「No problem」を聞くことになります。

●不可触民
11月6日の朝、ホテルに前田先生のお手伝いをしているケダルさんという方が来ました。この近くに住んでいるそうです。ケダルさんは不可触民の家庭に生まれ、ひどい生活を送っていたということでしたが、先生と知り合いヒンドゥー教から仏教に改宗し、今はかつての仲間であった不可触民に仏教を布教しているということです。
近年、インドでは、ヒンドゥー教の最下層の不可触民が、アンベードカル博士や佐々井秀嶺先生の影響で仏教徒に改宗するという社会現象があります。長い間カーストによる差別を受け、虐げられてきた人たちがヒンドゥー教を捨て、仏教やイスラーム教に改宗するというのです。
わたし自身、最初のインドではよく不可触民と思われる人たちを見ました。一般に、汚れるような仕事、嫌われる仕事が彼らの仕事となっていて、何年か経てば出世して上の仕事に就けるということはありません。カーストやジャーティというのは身分だけではなく、その仕事からも抜けられないのです。

安ホテルに泊まっているときでした。いつも掃除をしてくれるオジサンに、もう必要のなくなったひげそり用のカミソリを上げようとして声をかけたら、わたしの眼を見るなり、怒られると勘違いしたのか逃げていってしまったという経験もあります。なんとも言えない悲しい気持ちになりました。誰かに怒られるのではないかと、いつもおどおどしているのです。
また、公衆トイレの中で生活している人を見たこともあります。インドの公衆トイレは、出るものも出なくなってしまうといわれるほど、薄暗く汚く臭く不潔な場合が多いのですが、そのトイレの片隅で粗末な食事をしている家族を見たときはさすがにショックでした。そのお母さんらしき人の胸には、丸裸の子どもが抱かれていました。
最初のインドであちこちを旅行したときは、このような光景に何度も出合いましたが、最近はわたし自身の旅行が変わってきたのか、インドが変わってきたのか、あまりそういう辛い光景を見ることが少なくなりました。
不可触民への差別やさまざまな問題、またインドに仏教を復興させようと活躍されている僧、佐々井秀嶺先生については、山際素男氏が何冊も本を出されていますので、関心のある方はぜひお読みになってください。

ケダルさんは、その不可触民から仏教徒に改宗された人だったのです。朝、わたしたちのところに来たケダルさんは、彼のグルである前田先生とわたしを自分の家の朝食に招待してくれました。住まいは団地のような建物で、家具などない狭い部屋に家族と暮らしていました。ケダルさんの一番下の女の子がとても可愛かったのを覚えています。その女の子が、わたしの首にマリーコールドの花飾りを掛けて歓迎してくれました。肝心な食事のほうは正直言って、あまり美味しくありませんでした。
一般に、わたしたちが日本のインド料理店で食べるような具のたくさん入ったカレーは、インドの一般の家庭ではあまり食べないようです。ほとんどがサブジーと呼ばれる簡単な野菜料理にチャパティやライスがついているくらいです。

●ボンベイ観光
朝食をご馳走になった後、ボンベイから舟で数十分行った沖合にある「エレファンタ島」に観光に行きました。洞窟の中にブラフマー・シヴァ・ヴィシュヌのヒンドゥー教三大神の像があるので有名なところです。たまたま、商社で働いているという日本人二人と出会い、一緒に「エレファンタ島」を観光しました。きっと二人とも優秀なビジネスマンなのかも知れませんが、「エレファンタ島」と彼らの着ている背広はとても場違いな感じがしました。
ボンベイには、凱旋門があり、そばにはヴィヴェーカーナンダの像が立っています。
「タージ・マハル・ホテル」でトイレを借りました。びっくりするくらい大きくてきれいなトイレです。こういうところでは、チップを取られないように、相手が出す布より早く自分のハンカチを出して手を拭いてしまうのがコツです。
一休みしてから、「プリンス・オブ・ウェールズ博物館」に行きました。仏像、ジャイナ教やヒンドゥー教の神像をはじめ、細密画や昔の武器なども飾ってあり、とても面白い博物館でした。
インドにはデリー、カルカッタなどに大きな博物館があり、サルナートやマトゥラーなどの田舎にもそれなりの博物館があります。日本では博物館や美術館などめったに行ったことのないわたしですが、インドの博物館はほんとうにどこも面白く、時間が立つのもあっという間でした。

「エレファンタ島」からホテルまでの帰り道は、イギリスからお下がりの赤い二階建てのバスに乗りました。二階の一番前の特等席に乗り、ボンベイの町を縦断しました。途中、「クロフォード・マーケット」という、小さなお店がたくさん並んでいる商店街のそばを通りました。活気にあふれて面白そうなところです。
夕食もケダルさんの家でご馳走になりました。
最近は、デリーから直接リシケーシに行くことが多く、ボンベイにはしばらく行っていませんが、わたしにとってはたいへん思い出の深い町です。

明日は前田先生とも別れ、いよいよ観光を兼ねてアーシュラムを訪ねる旅に出ます。
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by preman9798 | 2010-09-09 23:05 | Comments(0)